07.03
Mon
家庭はそれぞれですから、目指す所は子が精神を病まない限り良いのだと思いますよ

子どものうち勉強できそうな一人を、良い学校に入れてあげることもよくあることですよね。
それはそれで良いかと思います。事情などもあるでしょうからね。
それぞれの子どもの良さを、理解しているのであれば良いですけどね。勉強できない子らを無視や、差別だと、虐待にあたりますね。

親御さんができなかった夢を子どもに託すこともよくあるのですが、子どもがそれを望んでいるなら良いですが、全く違うタイプでしたら間違いかな~と思います

このあたりは個別でお話ししていかないと何とも言えないレベルですけどね


時間が来たら、ごはんが当たり前に出てきて、幼児は勝手にごはんが口に入る。教科書はただでもらえる。
これから給食費も無償化するのなら、給食もタダ。

ここで大切な教育をしてあげないといけない!!と閃いた方は素晴らしいです



有難みをしっかり教えないと、ただのパープリン・KYになってしまいます

私が小学生か中学生の頃に教科書が無料になったので、もう親の世代から、当たり前。
になっているんです。


ここでしっかり有難みを教えないと、勉強ができてもあほっぽい子になりますよね。
はっきり書いて申し訳ないのですが、実際そうかと思います。

だから、幼稚園などでは、
「ママが作ったお弁当、おいしいね♡」

などをわざわざ言わせてませんか?
四日市は私立は給食ですね保育園も給食だった・・・・・

長男は幼稚園にいってましたので、福島や宮城の幼稚園は、そういう言葉を常にかけられていたようでした。
呪文のようにですが、社会性が未熟な早生まれな長男が、

「お弁当おいしかった!ありがとう」 と、弁当箱を洗う時に言うんです(^^)
最後の日には、「今まで、お弁当を作ってくれて、ありがとう」
と言っていました。

私立は給食もありましたが、園長先生から直々に、
「ほとんどの方がお弁当なんですよお~~~。子どもにとってお弁当はね・・・・云々続く」

とみなさんほぼ毎日お弁当でしたね。でも、簡単にできるようになるんですね。料理って、努力する時期がないとできるようにならないんですよね。こういう所からも、子どもの育ちが違ってきますよね。
まずベテランの大人の意見や助言がこうですから。
そりゃあ、子どもの色々な能力も上がるはずですね

三重県の指導者はそういうこと、言うかな?

言ってほしいですね



大切なのは子どもに、○○させる、理由ですね。
よくあるのが英語かな。幼稚園時代に英語、、別に・・・・

英語より、自転車の扱い方、新ルールなどをこんこんと伝えた方が良いかと思います。
事故をしたら、相手にお金を払う義務が生まれることなど。車と同じだということですね。

大阪などでは何でもできて当たり前な雰囲気はありますから、びっくりしますが、私は年齢相応になってから勉強をしても遅くはないなと思っています。
習字、そろばんも、ちょっと時代錯誤的な・・・・(すみません)
習字するなら、ペン習字で良いのでは?
今、和紙で手紙書きますかね・・・・てかライン

そろばんをするなら、公文で良いのでは?

そろばんで集中力は付かないと思いますが・・・・計算力はつくでしょうけど。
小学生で何十京の計算、今必要ですかね?

そんな時間は、本をゆっくり読んだり、落書き(絵画ともいう)をしたり、音楽を聴いたり。
そういう時間にあてた方が、人間らしく成長できるのではないかな。と思います。

戦争のお話しを訊きに行ったり。
親子で熟考したり。
一日の時間は、限られていますからね。

まあ、教育産業の影響で子育てもやりにくくはなっているのでしょうけどね。
不安をあおるような宣伝が、たくさんありますから。




comment 0 trackback 0
07.01
Sat
外遊びの教育では、7日間、外遊びをしたところで、目に見えて変わることはありません。
実際には変わっていますが、多くの方にはそれはわからないと思います。

うちの次男でさえ、最初は、場所見知りのような感じから始まり、怒りっぽいこと、よく回ること、よく動くことなどで自閉症っぽいなあ~~と感じていました。
4歳過ぎに、少しの時間であれば静止できるようになりました。
記憶が少し曖昧ですが 病院の待ち時間や、創価学会ですから会合の60分ですね。
怒りっぽいのは、5歳過ぎくらいに自分の中で消化できるようになり、怒ることは無駄・周りが悲しむと理解でき、気分を自分で転換できるようになり、それが本来の自分だったかのように、自分の実りとしていた印象があります。
こういうのは、幼児期であれば細胞ごと変わってしまいますから、自閉症ではなくなりつつある。
という状態ですね。


ゆったり自由保育を始めたのは、次男が3歳からですから、丸1年は次男の高機能でさえ、それだけかかったということです。
概算ですが、おこりっぽい所が取れたのは、丸2年かかったということですね。
1人1人、症状は違いますから、どこから取れていくかわかりませんが、数年単位で考えた方が良いということですね。

目に見えた結果がないと不安にはなりますが、絶対に大丈夫ですから確信をもってまったり外遊びをしてくださいね。

そして、幼稚園時代はこのあたりは特に特徴があるのですが、
「ママともに好かれるため、わざと自分の子どもが出来が悪いことを言う」

という傾向がありますよね。幼稚園で、ママがママにおいてかれないようにするためですよね。
幼稚園は、子どもが沢山遊ぶ場所ではなかったですか?
ママに置いてかれないようにする場所??
違いますよね。

私は福島や宮城にも住んでいましたが、そういう風潮はあまりなかったです。
自分は自分ですからね。幼稚園が同じだからって、建前ばかりでお付き合いすることはなかったですね。

多分岐阜もそうかと思います。

ここからが本番なのですが、

「子どもが小学生、中学生になるとテストの点が20点やったわーとママ友に同情をもらう人は、0に近くなる」

という事実です。

ほぼ、隠します(;^ω^)
だから、外遊び教育の結果がよく現れる年齢には、周りの状況がわからなくなっているということです。

(男子同士はたまに言いあっているのでわかる場合があります)
でも全員の点数はわかりませんよね。

きちんと外遊びをして、ゆっくり考える時間があり、親御さんの固定観念を無にし、子どもの意見をすぐに○○だと決めつけないという姿勢、
子どもと居る時間は宝だ。という気持ちががあれば、確実に小中高その後の勉強まで、短時間で高度な学習ができるようになっていると思います。
なので塾も、ぎりぎりまで要らない。ということですよね。

塾って、中学生くらいからだと月2万~ですよね。月に2万以上って結構きついですよね。
塾にいくことが当たり前ではないですよ。

そして、無理に良い学校に行かせることも、親の務めではないと思います。
一人一人、素晴らしい能力を発揮できる場所は違うのですから。

結婚し、主人が沢山お金を持ってきて、子どもを勉強漬けにし、良い学校に入れる
ということをが、価値がある・・・という考え方であると、おそらくあまり幸せとは言えないかと思います。
それ+、付加価値がある場合は、本当に自分の固定観念ではないか、親御さん自身がいったん落ち着いて熟考されると良いです。

それぞれ事情もあるでしょうが、例えばうちでしたら、高校までは県立でお願いしてあります。
それ以降の進学先は子どもが決める時期になっているでしょうからね。
優秀生徒であると、返さないで良い奨学金があることや、半額だけ返す奨学金、いろんな制度があるということも、教えています。また、当たり前ですが、

「何のために勉強をするのか」

ということも、たまにお話ししていますね。

あとは桜駅沿線上で、通学しやすい学校に。と思っています。子どもらにもできればそうしてほしいと言ってあります。
なので次男でしたら、西高の理数科か、四校となるわけで(笑) 極端ですが仕方ない。
ふるさとなのですから
三男も、四中工辺りになるかな?三男はやりたいことがありすぎて未知ですね。
最低限の勉強はすること。と伝えています。

実際長男が自転車でも10~15分ほどの高校に行き出して、本当に通学や提出物を出しに行く私も、たまに車で送る日も、近いと楽ですね。
いつでも手伝ってくれるじいさんばあさんが居れば、また状況も変わってくるかと思いますが、うちはすべて私がしないといけないのでね。


子どもによってタイプが違うので、言い方も変わってきます。
きょうだいに対する接し方も、常々声をかけています。 (長男)(次男)(三男)だけ、○○なしで、それで良いと思う???!!!

などと、忘れがちなことを少々嫌味っぽく伝えています。
3人とも男なので、女性特有の感情タイプではないのでこういう声掛けが要るんです。
女の子でもたまに伝えてあげると良いです。

大人になってきょうだい仲が悪いのって、嫌ですよね。私は嫌ですね。

外遊びをしてこなかった子たちは、無理に勉強をして精神を病む。ということにもなりかねません。
精神力も弱い状態で、臨界期を迎えてしまっているわけですから。そこから這い上がるのも、難しいです。
人はいつでも変われますよ。しかし、幼児期に一生で一番カワイイ時期にゆっくりまったり生活をするだけで、本来持っている能力を出し切ることができ、精神が強くなっていれば、そちらの方が人間を育てるという視点でも、当たり前で自然なことだなと思います。

世間の風潮は、その逆なんですよ。
小さいうちは親は楽をして、1人になる時間をわざわざ作り、学童期になって塾や公文に放り込めば良い。という考えですよね。
違いますよね。

学童期になれば嫌でも一人になれますから(笑)仮に下の子がいても、下の子は成長は早く感じますから。あっという間に就学を迎えると思います。
ランチをしなくても、死にませんよね。
1人になりたいという時期が、間違っているのです。人生で一番カワイイ時期になぜ一人になりたいのか?
矛盾していると思いませんか。

孤独に生活をしてと言っているわけではありませんよ。
世間の風潮に流されすぎないでね。ということです。





















comment 0 trackback 0
05.24
Wed
子どもを何でもできる子にすることが、大切ではないです。
しかし、放っておけ。ということでもありませんし、一番じゃないといけない・・・ということも違います。

さくらいちごの親御さん以外の大人は、”目に見える結果” でしか、子どもを評価できない方が99%でしょうね。
テスト、スポーツの結果、などなど。


中高生は、もちろんテストは大切ですよね
そういうことではなく、幼児、学童期、青年期、あかちゃん時代と、年齢によって大人のアプローチは違ってくるということです。

また、年齢プラス、その子の能力にもよります。

子どもが人生において、良い結果しか経験していないとか、無数の保険をかけておく(公文・そろばん・piano・なんだかんだ)
状態ではそりゃ、良い結果しかみていないですからクラスの子にも尊敬されたり、色々な人から称賛されるでしょう。

しかし、それと、生きる力(心の強さ)は比例しないのです。

生きる力は、そんだけ忙しい生活をしていると、つかないです。

生きる力がなければ、さまざまな能力は無駄になってしまいます。
また、外注で塾や家庭教師などを利用しないと何にもできない子。ということでもありますよね。

塾に行くのは、当たり前ではないですよ。

よく東大に行かせた親~~などというネットコラムや雑誌の記事がありますよね。
多数が、「勉強しろと言ったことがない」

という感想ではないですか?少しは言うでしょうが、ママ友と、愚痴るようなできなさぶりではないですよね。

これが想像つかない方もいるでしょうけど、実際そういう子は居ます。

ではどのように生きる力を養うのか。

次回のお楽しみに~('ω')ノ


comment 0 trackback 0
05.07
Sun
だいぶ記事も多くなってきており、まとめたいと思いつつ・・・数年先になることも予測されていることでしょう。

でもやると決めたことはきちんとしますね。時間は有限ですから。40歳になって、折り返し地点にきたようで気は焦ってしまいますから。”死” がやはり怖いですね。怖いというのは、自分がやりたい事をやり切って死にたいからです。

かといって、最短距離ばかりを目指す人生を、称賛しているわけではありませんよ(^^)
特に幼児の生活においては、大人が考えるよりもゆっくり過ごす方が、後によく成長しますから。


先日から書いているもので、長男が高校に行けないと診断されていた記事ですが。
何を言いたかったかというと、外遊びをしてきたから成長できた。
ではなく・・・・・

「ヤブめ」

です('◇')ゞ

誤診だったというか、発達検査は、自閉圏内の子はしっかりやりません。何も言わずに受けさすと。屁理屈の巌窟王ですから。
しかし検査をしないと周りにはわからないのだな。とも怖く感じます。

学校に提出すると、
「学年全体がとくに勉強ができる子がいない。のんびりした学年。だから知的障害グレーでも、ここに居られるのだ」
「何もできない子」

はっきり書いた方が伝わると思いますから、はっきり書きました。このようなお話ばかり聞いていました。
先生らはさすがにこんなはっきりは言いませんよ。そしてとても良い、学校です。
しかし直訳するとこうなる。


てか、IQ75てのを見たからでしょ?

ということですよね。数字しか見てないんです。

こういうのが私の原点になっていますね。でも、悩んで良かったかなと今は思います。
できる子ばかりだったら、人の痛みなんかは知る由もなかったでしょうから。ただでさえ、傲慢なところがありますから。

で、そのころは先生でも資格を持っている方でしたら検査ができたんです。
無料ですし、その方も自閉圏内でしたからめんどくさくなさそうで、そこで受けたんです。
今度は、IQ95ほど。

そうしたら、先生らの反応は、なくなりました(笑)数字しか見てない。

小学生になって20も上がるわけないですし、特別な教育はしていませんし、習い事は水泳しかやっていません。
わけないってこともないですが、7歳過ぎでは、本人が、こうなりたい!!と強く思わないと、できないことだろうと思います。
人は危機感を感じたときでないと、切羽詰まらないと動かないですからね。

今の子どもが物を大切にしないのは、危機感がないからですよ。
あふれるほどありますからね。
なので思考力がある程度着いたら、広島に行くと良いと思いますよ。原爆ドームを見学し、できれば実際被ばくされたかたの話を訊く。わざわざそのために行くのです。レジャーではなく。
眼球が溶けた方もいるそうですし。

去年の夏、ちょうど8月6日に白子に行ったとき、ラジオで黙とうと、被ばくされた方のお話しがあったんです。
次男は、立って聴いていました。私も初めて聴く内容があり、考えさせられました。


で、話は戻りまして、普通の先生らは数字でしか評価できないようでしたが、支援学級の先生は、特別何もない。見守る。
のようなことを仰っていました。その方は、数字ではなく本人を見て判断したのでしょう。
私がこう思っていることも解っているようで、その後一切話しもしないですが(笑)


高校に行けないと言われつつ、しかしそんな低いようにも見えない。私立にも行けない。つい先日高校の合格発表がありましたが、この呪縛のような不安感、つい先日やっと取れたんですよ。いちいち私はくらい顔はしませんからね。
相談相手もない状態で、体重は減るわ、ぶつぶつはできるわで本当この1年は精神的にしんどかったですね。
朝目を開けると不安に襲われたり。

確信はあるものの、やはり不安なところはありました。


やっぱりヤブではいけないと確信しましたね。
1歳の子育て中のお母さんに、遅れは一生取り戻せないなどという職員。
これも・・・・・。


私が悩んできたことは、結果的に良かったと思います。
傲慢故、誰でも持っている考えですが、「教育者の子どもは良い学校に行く」

という概念。私もそうでないといけないかな。と思っていましたが、そんな考えはいらないかなと思うようになりました。

ましてや、差別的になってしまいますしね。
歳を重ねると、出身学校ではなんとも言えない・・・という結果もわかりますしね(;^ω^)
先日、四高の子らがジャージで、ボウリングをやっていたそうです。ボールをわざと床に叩きつけるように投げていたそうです。
これってやばくないですか?幼稚園でもわかりそうなことですが。。
幼児期の手足を使った遊び・体幹を使った遊びが乏しい子では、壊す・破壊する遊びを大きくなってからしてしまうという特徴も、ありましたね。


学力などそれらにとらわれている人は、その方の方が下に見えたり。小さい人生かな。などと。


時間は本当に早くすぎます。1人1日24時間しかないんですよ!?
今いる場所で、人間らしい行動をどれだけできるか。今いる場所で、学生はどれだけ勉強に励むことができるか。
そちらの方が重要だなと、アラフォーになって思います。
○○高校の看板を背負っている事、自転車は凶器になるということ。
自覚しながら、過ごす学生生活ですね。

すぐに改善できなくても、少しずつ言っていけばどんな子でも理解できるかと思います。
親の言いたい事だけを言うのではなく、ですね。


先日の、知的障害だと言われている子が2語文を話した。歩いた。
という記事も、私がIQを上げた。ということを言いたかったのではなく、IQは平均だと私は最初から思っていましたので、ほらみろ。ということが言いたかっただけです('◇')ゞ 今は平均以上くらいです。知的障害というのが、誤診だ。ということを言いたかったのです。
もちろん、課題はまだあります。また、IQは全領域で上げれるだけ上げる教育をするつもりです。

上げた所で、療育の場から称賛されるわけでもないのも、わかっています。
教育の結果などは、先ほどのテストの点でしか評価できない人も多いですから、ましてや幼児でしたら、IQが上がったのは、
もともと素質があったから~~
などと言われるだけなのもわかっていますよ。

しかし、わかる人にはわかりますし、親子が安心して楽しく生活することができれば私はそれで良いのですから。
評価されるために、さくらいちごやっているわけではありませんからね(笑)
目的が本末転倒したら、変ですね☆




comment 0 trackback 0
03.17
Fri
相談する場所というのは、親御さんたちのモチベーションを下げたらいけないと思うんです。
受け止めることはもちろん必要ですよね。私も解ります。

しかし、そこで終わっているから、不満や悶々とした気持ちが残ってしまうんです。

だから、今はこういう状態だけど、○○な教育をしていくと、大体◎◎くらいに◆◆な状態になっていると思います。
と、これからする教育内容を具体的に言うことと、それをしていくことによって見える姿を大体で良いので伝えるんです。

大体で良い・・・とは、そういうことが得意な人と不得意な人がいるでしょうから書いています。
私は得意なので。
ピッタリ当てなくては責任が・・・という気持ちはわかりますが、相談機関から機関へたらいまわしにすることが、税金でする仕事ではないはずですよね。
でもでんで当たってない見立てはちょっと・・・・('◇')ゞ

どんな子どもでも光だ?(じゃなかったですね('◇')ゞ)というのなら、その子を育てる親御さんがまず、心から楽しく、希望を持って毎日を過ごさないといけないんです。

1.6健診で見つけても、ぜひ教育方法を教えてあげてください。
療育の申し込みの仕方だけでなく、具体的な教育です。
今の状態は、親御さんの方がわかっているんですよね。いちいち言わないだけで。
今の情報はもう知っているので、その次が知りたいのだと思います。

1歳や2歳の親御さんのモチベーションを下げることがどれだけの弊害を生むか、もう少し重大なことだと思った方が良いです。

ま、世間は自分の子どもだけが頭が良くデキる子なら、関係ねえ~という方が多いでしょうけどね。
ダッサイね。

残念な人にならないで、進みましょうね(^_-)-☆


comment 0 trackback 0
02.23
Thu


親御さんとのやり取りでとても大切なことだなと思う文章がありましたので、抜粋させていただきました。

私とのメールのやり取りです。


「メールありがとうございます。



「発展」という字面だけで考えると
例えば
積み木をかじる→投げる→並べる→重ねる→形を作る
この様な事を発展と呼ぶのかなと思っていたのですがそうではないのですか?

・こちらも、発展と呼んで良いと思います。


よく、言われていますね(;^ω^)
周りの大人が、 「こうして○○したり、△△したりすればいいのに」
と、勝手に想像していることが、そう言われる所以かな~と軽く思っています。
健常児でも、自閉症の子にも、言われていますよね。

子どもだけでなく、大人の方も、変わった方はたくさんいますしね。例えば※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※・・・・・それこそ発展がないどころではないですね。

寝るとき以外、1歳から6歳まで、同じ遊びをする子どもはいないだろうと思っていまして、私は大人が勝手に考えた子どものためという名目のTVCMみたいな笑顔を見たいだけ、いろんな遊びをしたほうが知能的に見えるからかな?と思っています。



〇〇君でしたら、私からみたらあれだけ大好きなボール、しかも出かけるときも、まだ歩かない○○君ですから、ハイハイで移動しますよね。玄関に向かう際も、両手に持って出かけようとするくらいです。転がして追いかけて、また静止して、ボールに描かれている絵をじっと見て。
本当に好き!という感じです。

それが、1時間半ほどじっくり・・・私も他のもので遊んだら~~などと何も言わず、思い切り好きな遊びをし、外に少し出て、お昼寝もし、お腹も満たした後、再度室内遊びでは、最初だけボールに触れて追いかけて、あとは触っていないケースからおもちゃを自分で選んで自分で出していましたからね。
どこかになくして、私に言うのがメンドクサイのかとも思い、ここにあるよ~~とわかりやすい所に置いておきましたが、とりに来ないので、本当にもういらなくなったようでした。

これも、発展と呼んで良いと思いますよ。発展=同じ遊びばかりしない という意味でも使うかもしれません。
また、いくら自閉症であっても、発展しないように見える遊び方をする子はいないのではないかな。と思っています。
発展してほしいなら、本当に2時間くらいじっくりとそれをさせているのか、疑問です。口では何とでも言えますから。

子育てって、親御さんの価値観などに影響されますよね。子どもは生まれて数年は説明したりできませんし、まず信じてもらいにくいですよね。真実は親御さんの言葉のみになっています。
結局健診でも、本当のことを話していない親御さんもいるでしょうし、子育てほど、色々曖昧なものはないかなという印象です。
言葉を話しているのに、未だ言葉が出ないという方もいるでしょうし、その反対もですね。

保健センターなどで、遊びが発展すると良い~~などとよく言われると思いますが、いろんな遊びをしていた方が、大人が勝手に賢く見えるだけの話でもあると思うので、気にしなくて良いかなと思いますよ。」






私が勤めていた音楽教室でも(私は18歳位以上しか教えてなかったので子供達と関わってないですが)

子供達の教材の内容や、発表会の曲目に至るまで

子供の為ではなく子供の親が満足する内容にしています。

レッスンはカリキュラム通りに進め、且つ「素人目で見るとなんとなく上達してるように思える状態」

を演出しないと親からクレームが来たりしていました。

そんなんでは後々躓くんですけど、それも知ってるけどそうせざるを得ない。


同じ曲を何度も何度も弾いてその中で新しい発見をしていく とか

自由に心のままに即興的に弾く とか

それこそ自然を感じた後にその気持ちを曲にしてみる とか大事なんです。

子育ても同じなんですね。

よく分かりましたm(_ _)m


音楽も中身を伴わないと、あるレベルからは伸びないです。

自分がどう感じるか、何を表現したいのかでなく

親の満足する所に自分を寄せた弾き方をしてる子を見かけると心が痛みました。







comment 0 trackback 0
11.21
Mon
可能であれば、2年、1年保育をと進めています。
また、好きに休める園、行事の少ない園を・・・ということも言っています。
遊びの時間を確保したほうが、成長するからという理由からです。

しかし、結局入れてしまうと、いくら行事が少ない園でも、園以外で伸び伸びしている子どもと比べると・・・
どうしても動く範囲も、することも、限られてきますよね。
園の敷地内でしか、動けないんです。ましてや勝手に園庭に出て遊んでいい園は、かなり少ないですよね。
みんな一斉に外にいったり、やることは決まっているのがほとんどでしょう。

園が100坪しかなければそこでの範囲で動くことになりますよね。
田舎で、500坪ほどある園では結構遊べるかもしれません。
しかし、親と自由に遊べる環境とは、やはり比べることができません。

思いついたときが、絵を描くときなんですよね。
外遊びは、運動神経を鍛えるだけではないんです。
あっという間に伸びるのが幼児期であり、大変な中、しっかり育児していくと後悔することはあまりないですし。
寝顔をみて謝るくらいなら、日々もっと頑張ることですね。先日の講演じゃありませんが。
本を読んだり、動いたり、暑ければ川に逃げたり、年齢が上がれば習い事同様に専門的なことも教えたりもできます。
まあ、自分の子どもと四六時中一緒にいるのも、きついでしょうけどね(^^)

能力を出し切る時期であり、やったことは1つも無駄にならないということを実感しているから私はできたのでしょうけどね。
中々目に見えない成果を期待して、すすめることは難しいでしょうけど。

なので園に入れると、運動能力は家庭で鍛えないと伸びないと思っておいた方がよいです。

ヨコミネ式や、バディでしたっけ?あのような園であれば、かなり頭と脳も鍛えられるでしょうね。親御さんのサポートも要ると思いますが。
ヨコミネ式に50m走で負けた次男ですが、体格が-2SDということを考えるとまあ、勝てたかなと今は思います(;^ω^)

三男は、就学前にしっかり教えることが次男より少なかったので、足遅っという印象ですね(;^ω^)
正直、1年生の運動会で、ほぼドベのほうでありしかも負けるなとわかっていると無駄な力を出していない価値観にもびっくりでしたね~(;^ω^)
正直、人生のうち一番遊びが充実していたのは三男ですし、3~4歳の頃は足も速かったのですが、就学1年前にお仕事を始めてしまったので、その1年間は三男のために動いたことが少なかったです。
5~6歳の1年間も、重要な時期だったのだなと、実感しましたね。
たったの1年さぼっただけであんなにも差が出るとは思ってなかったですから。

まあ、園に入れるよりは成長したとは思いますが、次男と比べれないので(笑)
遅くもないですが、特別早くないという感じですね。お勉強もですね。1年も先のハイレベルはできないですしそもそも知っていることはもう勉強したくない人ですからね(笑)
ユングのタイプ論で、三男は外向型直観タイプなんです。
次男は外向型思考、私が外向型・内向型思考で、ほぼ次男と一緒の考え方をしています。つーかもう頭は次男に抜かされてますよ(;'∀')

まあ直観の子の勉強の仕方といったら、こんな面白いことはありませんね(笑)
スゴイ・・・としかいい様子がないです。
長男は外向型感覚タイプです。美しいものは好きですね。

口から生まれた口太郎の能力はそのまま残り、過去の栄光でない事、挙手ができること、堂々としていること、係りの仕事に責任を持てることなど、負けてもいいのだという価値、私とは正反対の能力でみんなと仲よくできることに感謝はしていますけどね♡

次男も三男も、私が見ていないところの説明はとてもうまくできます。
学校での様子などですね。なので筒抜けですみません。
子どもらは落ち着いていますので安心してくださいね。特別嫌われる子もいないようです。
でも入学して数年たち、人数も少ないので仲間意識が出てきているなと5年生は思います。習い事でもそうですが、男の子は、友達同士でも素直であること、少しくらい言われてもすぐ立ち直れる強さ、正義とは・・のような能力がないと中々友達と仲よくできないかもしれません。そういった子は、親を見るとよくわかりますね。

他者に伝える力というのも、大切だと思います。おそらく高学年くらいにならないとできない子が多いと思います。


話を戻しまして。
さくらいちごで関わっている親御さんでは、園に行っていてもうまくいっているケースが多いです。
やはり、「子どもと家庭が主体」で通っているからですね。
世間がどうのこうので通っていないんです。
なので休んでも何も言われない園であること、療育しながらの園生活であるので午後から登園してもOKであったり、寛容的な園にしてしまっていると言いますか。
月の半分休みながらのおうちもありますしね。こういった子は、運動能力が落ちないですね。
運動能力が落ちない=頭脳も落ちない
ということですからね。

また、少々休んでも、幼児期にはあまり関係ないですね。しっかり親御さんと遊んで、心を強く養い、再び集団に戻ってもなんともありませんよ。むしろ休みたいときは休んだ方がよいかもしれません。親御さんと一緒に遊んで、過ごして・・・能力があがらないわけがありませんよ。親と一緒にいても成長しないなどという産業があるようですが、真逆です。
休んだあと、その次の声掛けが、大切になると思いますが。

幼児教育が義務になったら、もっと人間の能力(頭と精神)が下がるだろうなとは思います。
そのころに、子ども10人につき先生が1人という配置になっていれば未だ大丈夫だと思います。

これは教育に関係ないかもしれませんが・・・休む理由が、海外旅行・・・と、わざわざ言うから、問題になるんですよ。
黙っていけば、問題にならないんですよね。なぜ、言うのかな?と本当に不思議なのですが。
もう少し、親御さんも強く、しっかり思考しないといけない時代かも、しれません。


















comment 0 trackback 0
02.22
Mon
池田大作
名言100選



中央公論新社
著者 池田大作



P100
大学

学問や学歴は、本来、立身出世のための道具ではない。
人々の幸福に寄与するためであり、むしろ、大学で学ぶのは、大学に行けなかった人たちに奉仕し、貢献するためである。




だそうです





comment 0 trackback 0
01.26
Tue
聖教新聞 2016年1月26日
日刊

ピンクの文字が私の文章です。


善いことをしないのは悪に通ずる「応用の勇気」こそ教育の真価

~~~
教育に関しての役割

第一は、自分自身の行動がもたらす影響を正しく見定めながら、自分にも周囲にもプラスの変化を起こす力を磨く役割です。

自由保育ーーと言っても、自由とは完全に放任ではありませんね。
自由=責任
自分がすることは自由であるけども、そこに大きな責任が伴うということです。



人間の生き方には大別して3段階あるとして、
「依存的生活」や
「独立的生活」から脱却し、
「貢献的生活」に踏み出すことを呼び掛けました。

大半の女性は依存的生活ですねヽ(^o^)丿たぶんつまんない人生です。
私と関わっている方は、独立的生活です(^^♪


教育で得た知識を最大限に生かすために、「応用の機会を見出す習慣」を養いながら、機会を捉えたときには逃さず行動につなげていく。そうした「応用の勇気」を一人一人が発揮することに、教育の目的があると呼び掛けたのです。


何のための教育か。自慢?ステイタス?遺産をもらうため?
違いますよね(笑)
その人(子ども)にしかできないこと、人のために貢献できる人間に育てることですよね。周りの状況を正しく判断する能力も必要です。
幼稚園のときに、じっと座って英語を勉強することではないのがわかるはずですね。


~~~
正解のようなものを提示することではない

教育で培った”問題と向き合う道筋を見いだす力”を糧としながら、自分自身で問題解決の糸口をつかんでいく「応用の勇気」の発揮に焦点を置くべきと強調したのです。

~~~
今この場にいる自分でなければ発することのできない言葉や行動が生み出す「価値創造」の意義が、いやまして輝いてくると思うのです。

自由保育の一番の目的はここにあります。
自分しかできないこと、自分がやって見せると、気軽に訓練できるのが自由保育なのです。
周りの保育者にもスキルが必要になります。



①自分を取り巻く社会の問題や世界が直面する課題の現状を知り、学ぶ。

先生や親の顔色をうかがいながら、大人の言う通りにおりこうに生活することではないですね。
しかし、時に黙って指示をきちんと聞かないと、先生の知識をいただくこともできないですね。
このあたりのバランスですね。
幼児期、学童期・・・その年齢によって、しなければいけない生活があります。



②学びを通して培った、人生の座標軸と照らし合わせながら、日々の生き方を見直す。

スポーツをやっているからといって、勉強時間も寝る時間も遊ぶ時間も削って、練習に打ち込むこととは違いますね。
試合で土日をつぶすこともちがいますね。
かといってだらだら打ち込むことでもないはずです。
本を読む時間、寝る時間、お話しする時間、考える時間、ぼーっとする時間・・・・どれも成長期には必須なのです。



③自分自身に具わる限りない可能性を引き出すためのエンパワーメント。

自由保育の目的です。


④自分たちが生活の足場としている地域において、具体的な行動に踏み出し、一人一人が主役となって時代変革の万波を起こすリーダーシップの発揮。」



comment 0 trackback 0
01.21
Thu
「生活の花束」
創造的人生への提言

池田大作

新装改訂版

海竜社


「次に身近な教育の場といえば、なんといっても大自然そのものである。北風とたわむれる少年の鋭敏な皮膚は、日一日と高くなる日差しのなかで、自然の律動を感じとっていくものだ。湖水のように澄みきった少女の瞳は、冬の立ち枯れた雑草の間に、初々しい顔をのぞかせる若草の芽に、生きとし生けるもののたくましい胎動を見逃さないであろう。

私が少年時代を過ごした羽田近辺は、以前は豊かな自然が広がっていた。そこを舞台に織りなされる四季変転のリズムに、私は小さな胸をとどろかせながら育った。光る海と紺碧の空、緑の萌える田園は、かけがえのない友であった。地方出身の都会の人が描くあのふるさとのイメージである。

寒風にのせる凧あげ。早春の陽光を浴びつつの野原での駆けっこ。夏の照りかえる日差しのなかでのセミとり。紅葉したモミジの下での虫とのたわむれ・・・。

幼き日の思い出には、必ず自然が背景にあって鮮明な色彩感を与えている。私にとって自然は、なにものにもかえがたい”教師”の役割を果たしてくれたような気がする。

フランスの思想家ボルテールの言だが、まさに
「自然は人間の施す教育以上の影響力をそのうちにいだいている」
のである。
大自然の美を感受する心、生あるものへの親しみの感情、荘厳な天地のドラマへの畏敬の念、人間と自然の調和・・・これらを豊かにはぐくむのも、人生のこの時期が一番であろう。

情緒、情操の形成といえば、すぐさま音楽や絵画、踊りなど稽古ごとを引き合いに出す人もいるだろうが、生きた自然との生命の交流はたんなる技術的な教育の枠をはるかに超えていると、私はひそかに確信している。

より芳醇な情緒の源泉は、四季のドラマを演ずる大宇宙そのもののなかに息づいている。子供たちは、もともと動物や植物が大好きで、山や川へ本然的な情愛を覚えている。そうした生来の心が、セミやカブトムシの昆虫や桜や柿との接触を通じて、見事な情操として花開いていくのである。

ある少年は、草の葉のそよぎに、妙なる音律を聞くだろう。富士と桜に魅せられた少女の胸には、その美を表現する詩と絵画への眼が養われることだろう。夜空を飾る星の輝きを仰ぎみる子供の心には、宇宙の限りない奥深さと美への憧憬が大いなる夢をもって広がっていこう。

子どもたちは自然との無邪気なたわむれをとおして、自らの情感を豊かにしつつ、なによりも生きとし生けるものの真実の姿を、その生命に焼き付け、生命の鼓動を尊んでいくことであろう。

身近な一本の草も、大地と陽光と水滴に連なり、一匹の小動物も雑草と空気と無数の微生物がささえている。山々に降る雪は、春を待って川をくだり、平野を緑にうるおし、大海に流れ込む。蒸発した海水は夏空にまきおこる入道雲に変化し、ふたたび大地へ雨となって降る。

そしてまた、地球の自転と公転には、あのまばゆいばかりの太陽と月と星々とが互いに関連している事実を、大自然のふところで初めて実感するであろう。



~~~

文明は、これら少年の心に宿る貴重なものを、まったく無視しつつ今日の危機を迎えるに至ったといってよい。自然は人間にとって征服の対象であり、利用すべきものであるという不遜な価値観を転換させてくれるものも大自然の深いかいなである。

残念なことに、大人たちのつくった現代の都会生活は、少年から大宇宙に憩い、自然と遊ぶという生得の権利を、いよいよ決定的に奪おうとしているようだ。すでに大都会では、自然は破壊しつくされ、子供たちの日々の生活は大地から離れてしまった感がある。

しかし大地を離れた教育は、真に人間らしさをはぐくみはしない。
私は、子供たちに物を大切にする心、生命の尊厳にうばずく心を期待するならば、まずなによりも雄大な自然美に感動し、宇宙の律動を教えてあげるような優しくも厳粛な父であり、母であってほしいと願わずにはおれないのである。

都会の片すみでひっそりと咲く雑草に心をとめ、強風でスモッグが吹きはらわれたひとときの夜空に夢を語り、窓辺にまぎれこんだ小動物にあいさつを交わすような美しい母の心があれば、どんな都会に住もうとも、幼子を母なる自然へとおもむかせると思う。

自然略奪と物質浪費の文明からたもとを分かち、新たな大自然との共存の道を探りたいと思う。

子供たちの瞳がいつも希望に満ちて輝きつづける世界のために、次代のために、父と母は重要な役割を担っているのである。」




加筆修正しながらかいていきますね。
自然と切り離したところで、人間は育たないということですね。
習い事をすれば良いわけではありませんね。

もちろん食わせて寝せれば、体は大きくはなりますよ。
子どもは生みっぱなし、作りっぱなしではないはずですね。
最終目標は自立。
それからは?その後の人生の目的も、考えてはどうでしょうか。

だから、小さなことで悩んでいる暇がなくなるのです。
悩んでも良いですよ。人間ですからね。
でも、ママ友があーだ、幼稚園があーだ、夏休みがいやだー、冬(以下同文)、PTAがいやだー、etc
人生と何か関係あります?













comment 0 trackback 0
back-to-top