02.15
Sat
①近年の子どもの運動能力や社会性が低下している・とよくニュースや色々な場所で言われているようです。そう言ったことは、専門家ではなく、実際に子育てに関わっている方々が、一番よくわかっていることではないでしょうか。

また、ある論文では、肥満が増えている、親世代も運動能力が低い、などと書かれていますが、その原因が食生活の低下、体を動かさないライフスタイル、などと。

でも、私からしたら、体を動かさないライフスタイルにしたのは、誰か??何が原因か?ということ。
食生活では、低下どころか少子化になった影響で一人の子どもを丁寧すぎる育て方が蔓延し、逆に向上しているのではないか、と思っています。家庭菜園の普及など。

子ども観については歴史も色々あり、子どもを自由にしておくと、将来ろくでもない人間になる・という考えが今の日本では大きいようです。なので、必然的に、極端にいえば0才から、「しつけ」を重視してしまう風潮のようです これが、「0~8才の子どもの遊び」よりも前にきているから、おかしなことになるんです。
(こう言った事がよくわかるおすすめ映画「少年マイロの火星冒険記」
大人にとって都合のいい行動をしない男の子は、捨ててしまう・女の子だけいいなりにさせる為に自由を奪い教育をしていく・・・という火星の世界の映画。ハッピーエンドなので子どもと一緒に観れると思います)


そして、言うまでもない、遊ぶ場所がないということ。
どこに、広いアスレチックや、花摘みをしてもいい山がありますか。思い切りボールを蹴れる場所がありますか。マンションの庭で思い切り遊べる環境でしょうか。
狭い、球技禁止の公園はよくありますが。

またそれを逆手にとって、わざわざ「運動習慣をつける」ための施設が急増するなど、矛盾ばかり。私は矛盾だと思うし、それで儲ける事をするのは矛盾をさらに大きくしてしまう・と思っています。しかし、都会ではどうなんだろう・という疑問もまだあります。都会には住んだことがないので一概にはまだ仮説もできない状況ですが。

保育施設では沢山の「保育課題」をこなすので精一杯で、子どもの遊びをゆっくり見守る・ごく当たり前のことが、本当にできているのでしょうか。大人が考えるゆっくりと、子どもが考えるゆっくりは、全然違います。
そして、特に0~8才までの遊びって、時間がとてもかかる・ことでもありますね。大人からしたら無駄にも見えたりします。でも、そういう間に運動神経や、能力が養われている・という事を忘れてはいけないし、でもそれだけを思いすぎて、「これだけ遊んだんだから、デキるに決まっている・できてほしい」
「うちの幼稚園の子はこんなことができる・あんなことができる・と、世間にわかってほしい」
などと思うのは仕方ないかもしれませんが一旦「欲目」を捨てて子どもと一緒に今の時間を楽しむ・という気持ちが大切なのではないかなと思います。


②自由遊びとは、「何も教えない」ことではなく、言語には中々できない部類ではないかなと思っています。
子どもと一緒に過ごしている、お母さん方はわかりやすいと思いますが、24時間、「良いよ~」とは言ってられないですよね。
だから、遊びの時間くらい良いよ・と言いたい思い。それくらいの割合で、いいのじゃないかな・と感じています。


しつけは、「遊び」を十分したうえでの話だと、思っています。難しいのは、子どもが遊びきったな・・・という気持ちがわかるかどうか。ですよね。わからなくても、模索していく中で、いい結果として現れていくのではないかなと思います。それが、子育て・なのですから。
こういう事は中々言語にできないかもしれないなと思います。

遊びの前に、「愛着形成」もありますね。

私は、長男が沢山の保育園幼稚園にいっている中で、子どもらがあまり楽しそうでない場面や、義理で何かをしている風景、そういうのをどうしてそうなるのかな・と考えを深めて自分の育児の参考にしています。幼児が、そういった場所で義理で遊ぶ風景ほど、おかしいものはありません。
もちろん、いい場面も沢山ありましたが、私からみたら子どもには不都合なことが多かったと感じていて、次男三男の子育てには工夫を凝らしてきました。


運動神経の発達について調べると、難しい言葉がいくつも出てきました。
過程評価と結果評価。危険察知能力と回避能力・・・・わたしはこういう文字をみると構えてしまったり、ちんぷんかんぷんにもなります。一番自然な子育て・人間教育をしているのに、ガチガチに構えてしまってはいけないかなと。
発達段階に応じて、体の鍛え方を考える・など、そんなんわかるかよ?と、思います。そんなことばかり考えると、子育ても楽しくなくなりますね。発達段階は、その子どもが一番の資料です。

また、年少さんクラス・満3才保育ができた背景はご存知でしょうか。
・子どもの数が少なくなってきたため、保育施設の赤字を防ぐ
・核家族のフォロー

3才までは、親子で一緒に遊び、時間を大切にする・という文章が出回る=親子で遊ぶのは3才までで良い
などと勘違いしてしまう。

幼児期は、特に発達の個人差があると思います。特に周りに惑わされないようにしなければいけない時期でもあると思います。一番は、地域全体で子育てしていく・ということですが、現実には中々できてないと思います。


③自由遊びとスポーツについて。

スポーツも色々ありますが、サッカー、野球、体操、スイミングなど、スポーツには、ルールとか、組織とか様々な制約が付きものです。ルール以前に、毎週15~16時とかそういうことも制約です。その間に決められた事をする・ということなんですが、
幼児に、こういった事が必要でしょうか。

ルールが理解できるかということも、必要になってきます。
3才くらいから、遊びがどんどん広がっていくと思いますが、ボールひとつにしても幼児は沢山の遊び方を見つける天才ですね。300円もしないビニールボールってよく売っていると思いますが、かなり重宝しますよね。
投げる、蹴る、玉つき(あんたがたどこさ)転がす
フラフープ・・・本来は腰で回すものですが、、
高いところから転がすのがうちの子どもらのハマりでした。次男は、フラフープの場所まで何歩でいけるか、数えていました。100以上になってくるので、4~5才にはかなり勉強になっていますよね。
また、小学生の長男やその友達は、高い所に投げて回し方によって転がる場所が違う事で遊んでいました。
これも、広い場所がないとできないです。
逆にいえば、広い場所でなくても、周りの大人の許容度があれば、色々遊べるんです。

縄跳び・・・ズボンにはさんで、尻尾にし、追いかけっこになってました。追いかけっこでなくても、ズルズルとついてくる縄跳びを観察しながら走っていました。追いかけっこが一番楽しそうでしたが、これも「陸上」を習わなくても、走ってきなさ~いといわなくても、必然的にかなりの距離を走る事になり、短距離長距離が養われる・ということです。
幼児は運動能力が未分化ということであれば、こんな遊びをしているだけで、全ての運動能力が育っているということ。

こういうのが価値のある事だとわかるのが難しいのかもしれませんが、そういう遊びをしている時の子どもらの夢中になっている顔、義理感のない顔、遊び終えた時の聞き分けの良さが、遊びは子どもの仕事だなと思わせてくれます。

これが、ルールがあるスポーツだとすると、自分で考えて遊ぶ・ということはまずなくなります。
ルールの元で、動くということ。
サッカーもどきもうちはしますが、ルールであってルールでない遊び方をしています。ルールは、子どもが考えます。そこで、片方ばかりが点数が入ってしまうルールなどになれば、私が「そんなん卑怯くさくない?」などと少し介入したりします。
しかし、言わずにどういう展開になるか、試してみる時もあります。卑怯だ・という事がわかった・という時点で、先の予測がついている・ということ。そういう時も、いちいちよくわかったね。などとは言わずに、自然にしています。要は、昔の近所の遊び友達を演じているという事。今は子どもも少ないですし、かといって幼児の集まる施設が健全かといえばそれも難しい状況です。

こういうのが、難しく書かれている、発達段階にあった遊びを提供ということだと、思います。
なので、ヒントはインターネットではなく、子どもそのものなんです。

子どもに色々なスポーツをさせるべきだ・といわれていますが、そんな時間があるなら、自由に遊べる時間に使ったほうが、よっぽど運動能力を鍛える事ができると思います。

硬式野球も、2~3才の子は喜んで真似しますよね。「練習」しなくても、まずは思うままにTVの真似をさせ、実際に打たせれば、自分で試行錯誤してどうやったらバットに当たるのか・考えるようです。
次男なんかはあっという間に野球ブームは終わりました。(投げる・打つは5才以前に終了・習得)

子どもの能力は周りが潰しているのかもしれません。



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