02.22
Mon
池田大作
名言100選



中央公論新社
著者 池田大作



P100
大学

学問や学歴は、本来、立身出世のための道具ではない。
人々の幸福に寄与するためであり、むしろ、大学で学ぶのは、大学に行けなかった人たちに奉仕し、貢献するためである。




だそうです





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01.26
Tue
聖教新聞 2016年1月26日
日刊

ピンクの文字が私の文章です。


善いことをしないのは悪に通ずる「応用の勇気」こそ教育の真価

~~~
教育に関しての役割

第一は、自分自身の行動がもたらす影響を正しく見定めながら、自分にも周囲にもプラスの変化を起こす力を磨く役割です。

自由保育ーーと言っても、自由とは完全に放任ではありませんね。
自由=責任
自分がすることは自由であるけども、そこに大きな責任が伴うということです。



人間の生き方には大別して3段階あるとして、
「依存的生活」や
「独立的生活」から脱却し、
「貢献的生活」に踏み出すことを呼び掛けました。

大半の女性は依存的生活ですねヽ(^o^)丿たぶんつまんない人生です。
私と関わっている方は、独立的生活です(^^♪


教育で得た知識を最大限に生かすために、「応用の機会を見出す習慣」を養いながら、機会を捉えたときには逃さず行動につなげていく。そうした「応用の勇気」を一人一人が発揮することに、教育の目的があると呼び掛けたのです。


何のための教育か。自慢?ステイタス?遺産をもらうため?
違いますよね(笑)
その人(子ども)にしかできないこと、人のために貢献できる人間に育てることですよね。周りの状況を正しく判断する能力も必要です。
幼稚園のときに、じっと座って英語を勉強することではないのがわかるはずですね。


~~~
正解のようなものを提示することではない

教育で培った”問題と向き合う道筋を見いだす力”を糧としながら、自分自身で問題解決の糸口をつかんでいく「応用の勇気」の発揮に焦点を置くべきと強調したのです。

~~~
今この場にいる自分でなければ発することのできない言葉や行動が生み出す「価値創造」の意義が、いやまして輝いてくると思うのです。

自由保育の一番の目的はここにあります。
自分しかできないこと、自分がやって見せると、気軽に訓練できるのが自由保育なのです。
周りの保育者にもスキルが必要になります。



①自分を取り巻く社会の問題や世界が直面する課題の現状を知り、学ぶ。

先生や親の顔色をうかがいながら、大人の言う通りにおりこうに生活することではないですね。
しかし、時に黙って指示をきちんと聞かないと、先生の知識をいただくこともできないですね。
このあたりのバランスですね。
幼児期、学童期・・・その年齢によって、しなければいけない生活があります。



②学びを通して培った、人生の座標軸と照らし合わせながら、日々の生き方を見直す。

スポーツをやっているからといって、勉強時間も寝る時間も遊ぶ時間も削って、練習に打ち込むこととは違いますね。
試合で土日をつぶすこともちがいますね。
かといってだらだら打ち込むことでもないはずです。
本を読む時間、寝る時間、お話しする時間、考える時間、ぼーっとする時間・・・・どれも成長期には必須なのです。



③自分自身に具わる限りない可能性を引き出すためのエンパワーメント。

自由保育の目的です。


④自分たちが生活の足場としている地域において、具体的な行動に踏み出し、一人一人が主役となって時代変革の万波を起こすリーダーシップの発揮。」



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01.21
Thu
「生活の花束」
創造的人生への提言

池田大作

新装改訂版

海竜社


「次に身近な教育の場といえば、なんといっても大自然そのものである。北風とたわむれる少年の鋭敏な皮膚は、日一日と高くなる日差しのなかで、自然の律動を感じとっていくものだ。湖水のように澄みきった少女の瞳は、冬の立ち枯れた雑草の間に、初々しい顔をのぞかせる若草の芽に、生きとし生けるもののたくましい胎動を見逃さないであろう。

私が少年時代を過ごした羽田近辺は、以前は豊かな自然が広がっていた。そこを舞台に織りなされる四季変転のリズムに、私は小さな胸をとどろかせながら育った。光る海と紺碧の空、緑の萌える田園は、かけがえのない友であった。地方出身の都会の人が描くあのふるさとのイメージである。

寒風にのせる凧あげ。早春の陽光を浴びつつの野原での駆けっこ。夏の照りかえる日差しのなかでのセミとり。紅葉したモミジの下での虫とのたわむれ・・・。

幼き日の思い出には、必ず自然が背景にあって鮮明な色彩感を与えている。私にとって自然は、なにものにもかえがたい”教師”の役割を果たしてくれたような気がする。

フランスの思想家ボルテールの言だが、まさに
「自然は人間の施す教育以上の影響力をそのうちにいだいている」
のである。
大自然の美を感受する心、生あるものへの親しみの感情、荘厳な天地のドラマへの畏敬の念、人間と自然の調和・・・これらを豊かにはぐくむのも、人生のこの時期が一番であろう。

情緒、情操の形成といえば、すぐさま音楽や絵画、踊りなど稽古ごとを引き合いに出す人もいるだろうが、生きた自然との生命の交流はたんなる技術的な教育の枠をはるかに超えていると、私はひそかに確信している。

より芳醇な情緒の源泉は、四季のドラマを演ずる大宇宙そのもののなかに息づいている。子供たちは、もともと動物や植物が大好きで、山や川へ本然的な情愛を覚えている。そうした生来の心が、セミやカブトムシの昆虫や桜や柿との接触を通じて、見事な情操として花開いていくのである。

ある少年は、草の葉のそよぎに、妙なる音律を聞くだろう。富士と桜に魅せられた少女の胸には、その美を表現する詩と絵画への眼が養われることだろう。夜空を飾る星の輝きを仰ぎみる子供の心には、宇宙の限りない奥深さと美への憧憬が大いなる夢をもって広がっていこう。

子どもたちは自然との無邪気なたわむれをとおして、自らの情感を豊かにしつつ、なによりも生きとし生けるものの真実の姿を、その生命に焼き付け、生命の鼓動を尊んでいくことであろう。

身近な一本の草も、大地と陽光と水滴に連なり、一匹の小動物も雑草と空気と無数の微生物がささえている。山々に降る雪は、春を待って川をくだり、平野を緑にうるおし、大海に流れ込む。蒸発した海水は夏空にまきおこる入道雲に変化し、ふたたび大地へ雨となって降る。

そしてまた、地球の自転と公転には、あのまばゆいばかりの太陽と月と星々とが互いに関連している事実を、大自然のふところで初めて実感するであろう。



~~~

文明は、これら少年の心に宿る貴重なものを、まったく無視しつつ今日の危機を迎えるに至ったといってよい。自然は人間にとって征服の対象であり、利用すべきものであるという不遜な価値観を転換させてくれるものも大自然の深いかいなである。

残念なことに、大人たちのつくった現代の都会生活は、少年から大宇宙に憩い、自然と遊ぶという生得の権利を、いよいよ決定的に奪おうとしているようだ。すでに大都会では、自然は破壊しつくされ、子供たちの日々の生活は大地から離れてしまった感がある。

しかし大地を離れた教育は、真に人間らしさをはぐくみはしない。
私は、子供たちに物を大切にする心、生命の尊厳にうばずく心を期待するならば、まずなによりも雄大な自然美に感動し、宇宙の律動を教えてあげるような優しくも厳粛な父であり、母であってほしいと願わずにはおれないのである。

都会の片すみでひっそりと咲く雑草に心をとめ、強風でスモッグが吹きはらわれたひとときの夜空に夢を語り、窓辺にまぎれこんだ小動物にあいさつを交わすような美しい母の心があれば、どんな都会に住もうとも、幼子を母なる自然へとおもむかせると思う。

自然略奪と物質浪費の文明からたもとを分かち、新たな大自然との共存の道を探りたいと思う。

子供たちの瞳がいつも希望に満ちて輝きつづける世界のために、次代のために、父と母は重要な役割を担っているのである。」




加筆修正しながらかいていきますね。
自然と切り離したところで、人間は育たないということですね。
習い事をすれば良いわけではありませんね。

もちろん食わせて寝せれば、体は大きくはなりますよ。
子どもは生みっぱなし、作りっぱなしではないはずですね。
最終目標は自立。
それからは?その後の人生の目的も、考えてはどうでしょうか。

だから、小さなことで悩んでいる暇がなくなるのです。
悩んでも良いですよ。人間ですからね。
でも、ママ友があーだ、幼稚園があーだ、夏休みがいやだー、冬(以下同文)、PTAがいやだー、etc
人生と何か関係あります?













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01.05
Tue
以下の書籍から引用させていただきました。
遺伝や環境についてです。
いかに、環境が大切かが科学的に書かれています。


「発達障害の原因と発症メカニズム」
脳神経科学からみた予防、治療、療育の可能性

黒田洋一郎
木村ー黒田純子

河出書房新社

P111
~~
「~~~19世紀に王位継承争いからか、牢獄に生後16年間、人間を見ることなく幽閉されたという子、カスパー・ハウザーでも言語の発達など行動や能力の異常が見られた。
これで、ヒトでは行動の発達は遺伝だけで決められているのではなく、少なくとも<養育者>などによる養育環境が、言語の獲得など人間らしくなるためには必須なことが確定し、「養育の重要さ、教育の重要さ」を強調する近代社会の成立に寄与した。
しかし厳密にいうと、これら「野生児」などのケースでは、Ⅳ、Ⅴの意味での<母親>の養育だけでなく、Ⅱ、Ⅲの生前、生後の科学物質環境が関与している可能性もある。
~~~

貧困による母親の低栄養や出産時のトラブルによる低酸素、低栄養、広い意味では養育に入るが生後の母乳の摂取不足などによる低栄養である。」



※母乳の低栄養、というのは現在の飽食の時代の話ではありません。
ダイエット食品、ダイエット用品が劇的にはやっている時代です。
母乳が出ないほど、低栄養のお母さんはまずいません
このあたりの解釈を間違えないようにしてくださいね。
妊娠期の体重増加については、8キロは増やしたほうが良いと思います。増やさないことも、問題になることがあります。
このことが低栄養の状態を引き起こすこともあります。


また、母乳が出ない人というのは1%いるかいないかだそうです。
また母乳をしっかり出す、母乳90%(母が出かけるときのみミルクなど)にもっていくには、
生後30~1時間以内での、カンガルーケア・同時に母乳を口の周りに付ける・飲ませる

このことをしないと、数時間後授乳する際に、赤ちゃんがおっぱいに向いてくれません。
やりにくい状態が続くのです。

だから、母乳がでないんだ~~となり、おっぱいにメモリもついていないのに、出ないと勝手に判断します。
こうして母乳育児ができないのです。三重はとくに母乳を推奨している産院がありません。
鈴鹿の助産院では、母乳育児をしたいと申し出れば可能かもしれません。基本的に、三重県内ではお母さんのほうが母乳・母体について詳しい知識が先に必要となります。
帝王切開でも、母乳育児をさせてくれる産院もあります。
生死にかかわる事情がなければ、基本は自然分娩(助産院でも産めるように健康に気を付ける)です。
生まれる日にちは、子どもが決めるのです。子どもが生まれてもよい体調になるまで、安全な子宮内で成長をするのです。
それまで、待たないといけないのです。日程通りに産ませる、陣痛促進剤は非科学的だと思います。
事情がある場合は、お腹に話しかけてみてください
きちんと腹の赤ちゃんに向き合えば、答えてくれるはずです。生まれない事情もわかるでしょう。





「「どのように育てると、どのような能力をもつ子が育つか」、個人環境のもつ影響の大きさが注目され始めた。「早期教育からⅣに入る「虐待」まで好影響、悪影響さまざまな可能性があり、その影響は複雑である。
「早期教育」の行き過ぎなどとともに、子どもを育てる女性を苦しめていることが増え、その問題点を小児神経科医、小西行郎(東京女子医科大学)が的確に指摘している。

~~~
さらに、親がストレスなどで精神の安定を欠いていると「虐待」の悲劇がおこることも脳神経科学的には十分あり得る悲劇である。これは父親など男についても言え、本来集団の存続を脅かす子どもへの虐待行為を抑制すべくヒトの男性にも備わった「赤ちゃんは可愛い、他人の子でも保護しよう」という養育本能が不全であると、虐待をしやすくなる。」


私は、有毒物質からの自閉症な症状と、遺伝な自閉症の症状とは別物だと考えています。
症状が同じなので、診断名が同じになってしまうのです。

しかし、昔から居る自閉症な方に、それは失礼にあたるかな。と思います。
まるで、有毒に侵された故の体・・・・という印象を受けますよね(笑)
感じ悪いですよね(;^ω^)

小さいときにしっかり育てば、本当にあとは安泰なのです。
親を捨ててわけのわからない女に走る男にはなりません。
わけのわからない男と結婚することもありません。

世間は、逆で手のかかる小さいうちに親が楽をできるような風潮を作りますよね。
でも、違うのです。ママ友トラブルになっている暇がないのです。
幼児期など、あっという間なのです。あっという間に、しっかり向き合って子育てしませんか?












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11.26
Thu
三男がクラスメイトに、

「マラソン記録会って、ものがかかってるの?」(〇位になったら●●を買ってあげる)
と聞いたら・・・

「当たり前やん!」

と言われたそうですw(゚o゚)w


親御さんたちはもので釣ることに、何も感じないのでしょうか。


たかが1キロあるかないかの距離で・・・
距離があってもよくないですけどね。







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11.18
Wed
赤字が私の文章です。

2015年11月17日聖教新聞 名字の言より

「肥料と農薬を使わない、おいしい果物・野菜作りを提案・実践する農学博士がいる。植物が持つ本来の力を最大限に引き出す自然農法で、持論は「いのちは上へ上へと伸びる」
例えば、果樹の剪定(枝を切る作業)は、新しい芽が上へ上へと伸びるように行う。植物ホルモンのバランスを整え、いのちの力を引き出す大切な作業だという。彼は国内のみならず、海外へも農業技術指導に赴き、実績を重ねている。
ある教育セミナーで、教師や大人に望まれる、子どもへの5つの関わり方を紹介していた。

①信じぬく
・まず、「子どもが嘘をつきやすい子になっている」場合、早い段階から教育(更生)が必要になってきますね。
4~5歳くらいから始まり、小学生時代もよくありますね。男女関係ないです。
そういう子らに、信じぬく・・・・という言葉はいくら名のある教育者の提言であっても通用しないです。
また、親御さんらの更生、心のケアも同時に必要になります。

・子どもは嘘をつけるようになると、自分以外の他人の考えや気持ち、表情の読み取りが理解できた・(社会性があがっている)といえることでもあります。だから、ちょっとした”嘘”は許容範囲ですね。他人への迷惑な行為はいけませんが。
ちょとしたコツとしては、「だまされたふりをする」ことも、育児を楽しんで教育できるかなと思います。

この”嘘”を、つかれた人が、「本当はどんな気持ちなのか」を詳細に理解できるようになると、高い社会性となりますね。
この、高い社会性を教育する際に、やっと、「信じぬく」という言葉が発揮できるのです。


②ありのまま受け入れる
・これも鵜呑みは危険です。鵜呑みにしなくても、ざっくばらんとしすぎている言葉ですが。
障害を隠して、なかったことにすることも、ありのままを受け入れるとはいえないですね。親御さんの障害受容にも関係してくるのですが。
その女の子は髪を伸ばして女の子らしくしたいのに、親御さんがそれを許さない。
「中身を見て好きになってくれる男と結婚すればいい」
本当にそれで良いでしょうか。公開記事では書けませんが。
逆も然り。
ありのままとは、お化粧もしないで、男性らしくまた女性らしくしないでただそこで仕事をしてお金を稼いで、生きているだけではないはずですよね。
”見栄”ではないんです。人間が、人間として生まれてきたのであれば、どれだけ人間らしく生きていけるか。ではありませんか?
”社会性”とは、”身だしなみ”も含んでいるのです。

男の子だから、泣くな。この、単純な理由は今やっている人はいないでしょうけど、単純すぎて3歳過ぎたら効力がなくなりそうですね。男だから強くあるのは当然なのですが、簡単に泣かなくて、女をきちんと守れる人間になるためには、
「十分な甘え」がないとできないんです。
赤ちゃん時代から、幼児期に、お母さんのおっぱいをたくさん飲んで、たくさん抱っこだれるからこそ、成人してから独り立ちできるのです。
十分な甘え(土台・心の確立)がないから、成人してから親を困らせたり、いちいち親に相談したり、しいては親に金銭的な援助をずっと受け続ける、マザコンと言われる行動をしてしまうのです。
こういったことは、うまく隠しますから、こういったくだらない男と関わらないようにできる、女の子に育てないといけないのです。
また、こういったくだらない男にしない、楽しい子育てをしないといけないのです。


③励まし続ける

④どこまでも支える
・成人してから、金銭的な援助をするということではありません。
家庭によりさまざまですが、成人してからの援助はほどほどにしたほうが良いでしょうね。
また、「当たり前のように大学や、大学院に行ける」という意識をなくしたほうが、その子どものためには良いかもしれません。
もちろん、親は行けるように準備しておきます。しかし、いけないかもしれない。奨学金でならいけるかなあ~?などとかまをかけるなどすると、子どもは危機感を抱きますから現代の子には有効でしょうね。
これもうまくやらないといけないのですが。

うちの長男は、反面教師にしていて申し訳ないのですが始まりが遅かった教育でしたがその少しの成果のおかげで(?!)
例えば上記の内容でしたら、水泳をやっていまして、スイミングのイベント時には手伝いに行くことがあります。
バイトのようなものです。1日手伝って、500円ほどお小遣いをもらえるのですが、即、私にくれるのです。
未だ困り感はありますし、ほしいものもたくさんありますし、友達付き合いもありますからお金はいくらあっても足りない状況なんですが。私に預けろとは言ってません。



⑤心をつなぐ
・これも漠然と意味がわかりませんね。
だから初めから言っているように、腹に居る時からすでに違う人間がそこにいることを念頭に置き、話しかけるのです。
そしてできるだけ自然分娩で、オキシトシンが最大に分泌されるように、手術しなくていいように心がけておきます。生まれる時期は子どもが決めるのです。生まれていい体になってからしか、生まれれないんですよ。
生まれてからも、完全母乳で行けるように下ごしらえをしておきます。
オキシトシンは、疲れを軽減させ、子どもをいとおしいと思わせる、世話を億劫にさせないホルモンですね。また、自閉症にも効果があるとのことで。
オキシトシンは、自然分娩でないと最大に分泌されないんです。量がてんで違うんです。
母乳もそうです。
だから、母親による虐待があってもおかしくはないのです。母性は初めからあるのではなく、育んでいくものです。
そこからつなぐ・・・ということが始まるのです。

親御さんたちとの会話や、こういった莫大な情報から、”迷い”が生じていることがよくわかります。
情報がありすぎるから、またはアドバイスされる先の言葉の意味がわからなかったり、アドバイスしているようでその親御さんにとってはされてないものと同じであったりというすれ違いがたくさんあります。


膨大な教育実践記録を分析した結論という。講師は訴えた。
「一生懸命に生きていない子どもなど、ただの一人もいません。今がどんな状況であろうと、必ず変わります」
農業も教育も、ともに「いのちを育む」聖業。大切なのは、「いのちの力」を信じ抜き、どこまでも関わり続ける忍耐と努力だろう。時間はかかるかもしれないが、心を砕いた分だけ、必ず結果は出る。仏法は、全ての生命に「仏界」という最高の宝があると説き、その「宝」を引き出す方法を教える。いのちにある「宝」を疑わない限り、いくらでも伸ばしていける。」










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11.12
Thu
最近では先取り学習が大流行です(笑)

うちもしていますが、
幼児期のたくさんのゆったりした外遊びの生活で、もっと学習したいという地頭になったからしているだけ

なんですよね。

まさか、学校で困らないためにしているわけではありません。
当たり前ですよね。

また、こういった地頭になっていない状態で、無理に先取り学習をさせても、
該当学年になったとき、すっかり忘れています( ;∀;)

残念ながら・・・・ということです。

だから、「過去の栄光」
などという比喩ができたのでしょうね。

学習をさせたいのであれば、その分ゆったりした時間・人工的でない遊びを保障しないといけないということですね。
妊娠中はどうでしたか?
「無事に生まれればそれでいい

と言っていませんでしたか??

それがいざ生まれると・・・

「私が俺が思ったように育っていない!」
「あれがいやこれがいや云々カンヌン」

あれ?無事に生まれればよかったのでは??

言動が二転三転する親御さんのもとで、先取り学習なんてできるはずがないです。











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04.09
Thu
虹色教室通信からコピペさせていただいた記事を抜粋しました。
こういった環境が当たり前になってしまって、本来の”人間育て”はどこへ行ったのでしょうか。

幼児期から、
「読み書きできて当たり前」
「足し算引き算できて当たり前」
「小学校で泳げないとかわいそうだからスイミングへ」

健常児・障がい児関係なく、こんな忙しい幼児期を過ごしてきた子は、せっかく持っている潜在能力を発揮できないままになります。
1年生で、延々と読み書きから始まるんです。幼稚園や保育園は頑張る場所でなはなく、
沢山遊ぶ場所
です。
頑張る場所ではありません。
習い事に少々入れるのはかまいませんが、その動機ですよね。短絡的ではないか、よく親が考えないといけません。


それぞれのお母さんが大人同士のおしゃべりに夢中で、
1時間半ほどのサークルの間、子どもは眼中にもない様子でした。
積極的な子たちは走り回って、他の子のおもちゃを奪い取ったり、
赤ちゃんをつきとばしたり、ただ走り回ったりしていて、
おとなしい子は、騒がしい空間で、何をするでもなく座ったまま宙を見つめるか、お母さんたちがしゃべる様子をぼんやり見つめていました。

私が、ぬいぐるみの犬にシャワーをかけてお風呂に入れる真似を始めると、
子どもたちはいきいきとした表情を浮かべて、
犬を風呂に入れたり、拭いてやったりして遊びだしました。
また、文字積み木で図書館やレンタルビデオ屋さんをはじめると、
喜んで借りにきては、
ビデオを見る真似をしたり、
本を選ぶ振りをしたりして楽しそうに遊びだしました。

すると、その様子を見た親たちが、
しぶい顔をして、子どもをにらみつけたり、
暗い表情で、子どもを呼んで、「あの子と遊んじゃだめって言ったでしょ」と耳打ちするのです。
親同士、仲が良いとか悪いとかがあるようなんですね。
仲の悪い親の子どもとは遊ばないようにしつけているようなのです。
それと、
子どもが楽しそうに遊ぶのなんて、まったく無意味で、
先生として参加してくれるのなら、
音楽とか英語とか教えてくれたらよいのに……と思っているのが伝わってくるのです。

案の定、集団でする体操の時間や鈴やタンバリンを鳴らす音楽の時間になると、
お母さんたちの視線はわが子に釘付けになって、
あんなに無関心だったことが嘘のように、今度は一挙一動のミスも、他の子より遅れている部分も見過ごせないわ~という
雰囲気になっていました。
携帯で写真撮る方も多かったです。

気になったのは、多くの子が、
お母さんとまなざしで会話する姿が見られず、
親を振り返りもせずに、
まるで動物のようにうろつくときと、
親の視線が自分の注がれる場面では、
他の子と比較しているのを察知して
顔をこわばらせたり、目をパチパチさせたり、親の目を恐怖に見開いた目で見つめ続けたり、
それかまなざしは感じているはずなのに全く無関心な様子でお遊戯中もイスにのぼったりする姿があったことです。

こうした親子の姿は、あまりめずらしいものではありません。
いろんな子育て支援の場に参加しましたが、どこに出かけても、
「子どもを他の子と比べる場面以外では全く無関心、子どもは視界の外」
という親の姿は、
多数派でしたから。

おそらく今の日本の子育ての定番の形なのかな?

とも感じています。

子どもの側もそれに適応していて、
親に無関心か、自分の要求をかなえる道具として認識しているように見えます。
ですから、子育て支援の場で30組以上の親子が集まると、
殺伐とした空気が流れているんですよ。





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04.01
Wed
母親の方が、早期に困り感を気づきやすいです。
なので父親・祖父母には困り感は気づかれにくいです。

また、IQが高い(80以上)困り感のある子ほど、気づかれないです。
低い子は、気づかれやすいので教育には入りやすいという特権があります。

母親と、父親の教育(療育)方針が違うと中々効果も期待できません。両親が拒否するより、数倍マシなのですが。

その子のありのままを受け入れることと、
教育次第で伸びることも、実行しないこととは


全然違います。

ありのままを受け入れることは当然大切です。
でも、
子ども本人がそれを望んでいるのでしょうか?ということです。
療育なんかしたくないなあ~このままでいたいなあ~と思っていると思われますか?


何か違いますか?

お父さん、ありのままを受け入れてくれてありがとう、と言うかな?

当事者ブログなどを拝見すると、
「療育してほしかった」

と殆どの方が書かれていますよね。
私もそう思います。

常識をしらないまま、誰が大人になりたいかな?

然るべきときに、勉強し、自立をする・・・本人もそう望んでいるのではないでしょうか?常識が自然と学べないということは、嫌な思い出を積み重ねていくということでもあります。
また他人に迷惑をかけることも、多くなります。













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10.13
Mon
随分とお久しぶりになってしまいました。

うちを利用してくださっている方々に、今は本当に助けられています。
お子さんの症状は千差万別ですが、かなり癒されています

今日は1人の子どもや1つの症状で書いていくのではなく、トータルでほかのご家庭にも通じることを書いていきたいと思います。また、親御さんへのダメだしではありません。
遊びに価値を置いてない親御さんへは、ダメ出しになるかと思います。

最近では「早期教育」「知能アップ」などと子どもに教え込んだり、子どもが小さいうちから色々できるようになることを良しとする風潮がありますね。
それゆえ、子どもがぐちゃぐちゃにして遊んでいると、
「無駄な時間」
「意味がない」
「そんな時間があったら習い事に行かせたい」

などと思う大人が大半でしょう。

また、知育グッズが盛りだくさんですね。
図鑑にしろ、DVD、図鑑にもDVDがついているものもありますよね。
幼児期の子どもの素朴な質問に対し、今の時代は、親御さんが感性豊かに応えられない時代になっていることがとても危険だなあと思っています。

教室の子どもだけでなく、色々な子どもが言うようになったこと・・・
「スマホで検索してみたら?」

何かわからないことがあると、こうやっていう子は増えているように思います。
これは完全に、おうちでそうしているからでしょう。

子どもは全部親御さんの真似をしていきます。
親御さんのすること=常識
としていきます。

子どもが何か疑問にぶつかった時は、簡単に検索してしまわずに、図鑑・図書館で調べるとか、その場所まで行きとことん観察するなどの、昭和な調べ方を推奨しています。
昭和な調べ方をしていると、習い事などをしている暇がなくなってきますね。
ここが習い事オンパレードなおうちと、ロハスでも子どもがすくすくと育っているおうちとの違いですね。

児童館・幼稚園・保育園・サークルなど子どもが集まる場所でも、ただ遊ぶだけではダメ・・・といわれてしまう時代ですから、ぜひうちと関わっている方だけでも、遊びをとことんしていき、知能が上がっていく様子を見守ってくださると嬉しいです。

また先日もアドバイスさせていただいたのですが、子どもの質問に応える際、どこまで応えるか・・・
「最近接領域で判断すること」
をお伝えしました。
理解できそうであるな・・・と判断したときには、正答を言ってしまうこともありますし、まだ理解できそうでない時には、
わざわざ考えさせるようなことを問いかけるようにしています。
「さあ~どうしてだろうね?先生わかんない~○○くんはどう思う?」
などと答えを言いません。

・拡散思考を促す
・たくさん意見をいわせることで、言語訓練にもなりますね
・自分の気持ちを言葉で表す(アイデンティティの獲得・言語・自分の内面を知る)


様々な教育の効果が期待されますね。
これが本来であればおうちや幼稚園などで出来ていたはずなのですが、今の時代では中々できていません。
親御さんが時代に流されずに、自然な発達(結局は高度な発達)を見守るしかないかなと思います。


また子どもの作品や、採ってきた昆虫・木の実などをどう扱っているか。
幼稚園などでも今であればどんぐりや色々拾ってきますよね。
そういったものを、すぐに捨ててしまったり、子どもの目の前で捨てることをすると、大人からしたらいらないものではあるのですが、子どもはそのまま
「こんなもの拾っても価値はないのだ・自然には価値がない・自分の作るものには価値がない」
と解釈してしまいます。

一部のお子さんでは、本当は持って帰りたいのだけど、ぽいっと捨ててしまう場面が目立つ子もいました。
また親御さんのお話では、飽きっぽいとのことでした。
私が連れて行く公園ではどんぐりどころの話ではないので、たくさんの見たことのない木の実・昆虫・植物などがあります。
なので幼稚園や保育園での園外保育どころの話ではなく、子どもが驚くことは想定内で、すでに園にかよっているお子さんであればすごく珍しがったり、驚きます。

子どもは本当に大事そうに、拾ったものや作った作品を大切にしようとします。
その場限りではなく、何日も眺めては、これはいつにつくったもの、いつ誰と拾った・・・と思いを巡らせたり言葉で伝えてきたりします。
そうして親御さんにも、自分の関わったただの木の実でさえも大切にしてもらって一緒に興味を持って眺めることで、
「自分は価値のある人間だ」
「この木の実・作品には価値があるのだ・もっと知りたい」

という知能アップに繋がっていくのだと思っています。

ご家族の協力がないと難しいことでもありますが、まず子どもの作品をすぐに捨ててしまうことを賛成すること自体、考え直さなければいけないことだとは思いますが頑固なお父さんの思考を変えることは難しいので、まずはお母さんから変えていかれるだけでも違うと思います。
少しのスペース、で良いので少しずつ子どもが取り組んだ証を残してあげる家庭にできると良いかなと思います。
両親がそうであれば尚良いのですが、どちらかの親御さんだけでも、子どもには良い影響を与えると思っています。

長くなったので次回は愛着についてかいて行きますね。


















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