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12.14
Tue
親の言うことをきく子ども時代は、大変だといえども制御もききますから実は楽なのかもしれませんね。

多くの親御さんが、最終的(高校生以上)には、

◎罪を犯さない人 犯罪者にならない人
◎道路交通法違反を犯さない人
◎わからないことはわからないと言える能力がある人
◎謝る能力がある人
◎できれば誰とでも仲良くできる人


こうなってなければ困るわけですよね。

逆に言えばこれさえできていれば大半の人生はうまくいきますよね。

長く生きていると、気付くことでもありますね。

また順番に書いていきますね。




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07.10
Sat

私立の小学校に通っている子の、2年生の時の担任の先生のお話です。
今は3年生です。

先生の配慮というか、知恵、工夫がすごいなと思ったお話です。

これくらいの年代って、まだ男女分け隔てなく遊びますよね。
しかし、3~4年生くらいになってくると、男女別れて遊ぶようにもなってきます。
遊び方が違ってくるのと、男女の違いを認識するから。ということもありそうですね。

早ければ2年生後半からそうなってもおかしくないですね。今は令和ですしね。

まだ男女仲良く遊べる子と、別れて遊ぶ子と出てくるわけです。
そうすると、
「からかい・いじり」

が始まりますよね。
そこから、いじめ。が始まることも、先生はもう知っているのでしょう。
私も経験がありますので気持ちや状況は理解できます。

しかし、せっかく男女分け隔てなく遊べる子を、無理に引きはがす必要もないですよね。
皆と仲良くして、人間関係の土台を作る重要な時期でもありますから。

そこで先生は、

その子だけ、その他大勢の子より、漢検を1級上先に受けて合格させておいて、クラスで漢検の勉強をするときは、その子だけ上の級を勉強できるようにしておいてはどうか。

という提案をお母さんにしたそうです。

クラスで漢検の勉強するときはその子だけ、7級のを勉強することになります。
その他大勢は、8級を勉強しているわけです。

だから、その子が休み時間に女の子と仲よく花摘みとかしていても、

〇〇くん、7級勉強してる、すごい!!


と、周りの皆が尊敬するようになるわけです。
よって、からかいがなくなるのではないかと、先生は予想されたそうです。

そして家庭でも頑張られて、無事に8級を先に合格したそうです。
そうして実際に、クラス皆で漢検の勉強をするときに、その子だけ7級の勉強をしているものですから、
からかい、いじりがなくなったそうです。
まだいじめには発展してなかったんですけど、先生はそれを予想して先手を打ったわけです。

このお話を聞いた時、すごいな!と驚きました。
さすが先生、工夫が際立っているなと。これぞ先生。ですよね。
知識を言うだけじゃなくて、自分の言いたいことだけを言うのではなくて、一人ひとりをしっかり見て関わっているからこそできることですよね。
自分の言いたいことを言うだけなら、誰でもできますから。


私も見習おうと思いました。
私は漢検8級、たぶん合格できなさそうです( ;∀;)





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02.21
Sun
簡単な例を一つ。

私の父がクウォーターです。
しかし先祖代々家庭不和でしたので(笑)父は両親が嫌いだったんだそうです。
だから、私は父の両親には会ったことがありません。
そもそも、高校1年で私の両親は離婚しましたから、それからは父とは全く会っていません。
だから、43歳―16=27 27年程会ってないということですね。もう死んでそうですが。


だから、祖父母のどちらかがどこの国のハーフなのか知りません。アメリカかロシアだとは思いますが。

日本は島国なので、多民族の国ではないですよね。でも、他の国だと色々な民族が共生している所もありますね。
だからハーフの方とかは、自分がどこの国出身なのか、わからなくなり、悩むんだそうです。

私はワンエイスになりますが、今は老朽化が進み、ほぼ日本顔ですが子供の頃はハーフハーフ。
と言われていました。

国も知らんけど、
「どこでもいいかな、話してわかる人には地球出身、あとは話合わせてアメリカ〜ロシア〜って言っときゃいいかな」

などと全く悩みません。

自分のルーツを知りたがるのは、人間の特性なんだそうです。だから、悩むのは普通のこと。
だけど、私のような気持ちの練習をしたら、少し楽になるかもしれません。

今は、そういうことで悩む人の気持ちが、少しわかるようになったことを、とても感謝しています。
また、悩まない自分。を作ってくれたルーツにも、感謝できるようになりまして、その2つの気付きに今はとても感謝しています。



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12.31
Tue


先生の力ってすごいですね。
12年、小学校に各子どもが通っていますが、このようなお手紙は初めてです。

また、この先生は、自分の給食を減らして子どもらに食べさせることもあるそうです。というのは、増やしたい子用のご飯がないときに、そうしてくれるそうです。
すごくないです❓

実の親でも殺しちゃう人や食わせない親なんて沢山いるのにね。

四日市市の給食はおいしい方だと思いますし、嫌いだから。とかではないと思います。

兄弟らも、めちゃ感動してました。



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06.05
Wed
地域差もありますが、こちらでは子育てを
やっかい事
大変なこと
一緒に居たくない
夏休みは最悪
同姓の子どもはいらない
外遊びなんて最悪


などと簡単に言ってしまう特性があるようですね
おまけに公園も少ないですし、支援センターも少ない。そりゃあ子育てをやっかいなものと捉える風潮があったらそうなりますね。

私は岐阜ですが、岐阜でも少しは言いますね
しかし、こちらほどではない気がします。
同じように事件もどこでもあると思うのですが、数が違うんじゃないかとも感じています。

子育ても挨拶も小中学生から上手な地域と、なぜこうも違うのか考えてみました
福島では、小中学生から子守が上手なんですよ。仙台でもそうでした。(仙台はばらつきがありました。都会だという自負で都会っぽさを醸し出している人は子育てはうまくなかったです)
絶対に、上記のような言葉は言わない感じです。

子育て専門家が、叱らない子育てをしましょう~と、
無謀なアドバイスもしません(笑)
叱らない子育ては、ママさんに大きな負担を強いるだけのアドバイスで、間違いだと私は思います。

こちらの新米ママより上手かもしれません。私も、きちんと挨拶も出来る、近所の中学生に長男が2歳のころ、
「遊びにつれていっていいですか?」

といわれたときは驚きました。それまでは岐阜の子育てしか、知りませんでしたから。

まあ、うまいです。笑
私なんかより中学校のお姉さんの方が上手に遊んでいました…

子育てがうまい人が多い地域というのは、そういう伝承があるんじゃないかなと気づきました。
先祖代々から、
「子供と一緒にいたくないとか、同姓3人もいらない」
などと存在を否定するような言葉を簡単に言わない。
ということ。


ある言葉を借りて説明しますと、

「餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見・天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがつて見るところ各別なり」

これは、鬼さんは大きな川を火のように怖いものだと思いこむ
人間は、普通に水とみている。
天女さんは甘いジュースのように豊潤なものだと思う

というような意味です。
これと同じかな。と思いました。

三重では、全体ではないけれど子育てを「暗黒」のようなイメージで捉えてしまう。
福島では、「大変だけど恩返しもある、ハピネスな期間限定な子育て」

と、見る人によって全然違ったものに捉える心なのかなと。

しかし、渦中にいるママさんみんながまずい子育てをしているわけではありませんよね。伝承のせいでつまらん子育てになってしまっているんです。
まずいのは、地域の伝承なんだと思います。
それをママさん自身が、客観的に見て、どのようにどこが間違っているのかを知ることで、ハピネスな良い子育てになっていくと思います。
受け継がれていることを意識的に客観的にみるのは、教えられればわかりますよね。
しかし、どこが間違っていてこれがいいんじゃないかなと細かく査定し、自分は間違った子育てはしない!と断ち切ることは結構難しいかと思います。

細胞1つ1つに染み込んでしまってますからね。

祖父母にべったりな家庭だと、余計改心することは難しいですよね。改心できない環境といいますか。
だから、やはり県内にずっと居るとしても、適度に親離れ子離れしてしっかり新米ママさんに子育てをさせる厳しさも必要なんです。

もうされている方は簡単
福島がお勧めですが、福島ママさんのブログを読んでみるとか、あとは思いつきませんが笑 良い案があったらまた書きます。

自分の視点と、福島ママ、東北、東京辺りの東北出身ママさんの視点の違いを探すんです。
全国で、夏休みは家にいてほしくない。とは言いませんよ。そして母乳あげたくないとか夜寝れないのが嫌。などとも言いません。

子どもがどう育っているか、挨拶をするのは当然でしょうし外遊びをするのも当たり前でしょう。
そういうことを見てみるんです。

伝承を変えていくのは簡単ではありませんが、一緒にやってみましょうね。

正解な子育てをするためではなく、オール5をとるためではなく(できればオール5がいいな~)、次の世代に送るためです。たった一人が頑張ることで、ひいては色々な事件の回避にも繋がります。




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01.27
Sun
障害は治らないと言われていますが、少しでも良くしたいと思うことは間違っていないと思うんです。
良くしたいか、そのまま惰性で療育センターにいくだけなのか、決めるのは本人ですよね。
1歳や2歳では決定権はないのと同じですが。

本人や、その家族が決めることであって、他人がとやかく言うことではないですよね。

家庭によっては、いくらでも手伝ってくれる祖父母や身内がいたり、特別児童手当はもらっていきたい、など良いとか悪いとかではなく色々なプランもそれぞれあるのは当然です。


多くの人は、どんな仕事をしいていようが、自分が良くなること、儲かることしか考えられないと思います。
心の余裕がないんです。

だから、本当にその子供が将来どのようになっていくのか、本当に考えている教育者はほとんどいないかと思います。
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08.05
Sun
また教育論を書かないといけませんね。
筆が進まずすみません。一番身近な人が良くなってくれるのが一番の楽しみで癒しですから。
大衆に向けての療育と個人情報暴露は後回しになってしまいます。
ファンも多いことでしょうからね (多くねえし!)


やらないから、できない。
色んな意味で使うと思うのですが。

色んな意味で、やってもできる人と中々できない人、居ますよ。
まずはそれを認めるんです。 認めるとは諦めることとは違います。

「人」 と書いた意味はわかりますか? 
子どもって伸びしろが大きいんです。しかし大人に近づくにつれて、習得には時間がかかります。

本人が変えたいと思わない限り、または命の危機でもない限り、できるようにはなりません。

例えば同じ勉強をしても、60分やって100点が取れる子、180分やって100点が取れる子など、色々いるんです。
そしてその種類が決定するのは、親の遺伝というよりも、幼児期の育ちが大きく左右すると思っています。



今日も懇談で先生方とお話しした中で、「目的がないと頑張れない云々」
という話題になりました。

危機と同じようなことですね。

疲れたので近いうち続きを書いていきますね。



2


家庭によって色々考えはありますね。

大学に行ってほしくないから、勉強って嫌だよね。
と刷り込むおうちもあるでしょうし、子どものお給料を早々にあてにしているおうちもあることでしょう。
子どもが親を養って当たり前というおうちもあるかもしれません。


または、○○さえできていれば良い。とか、スポーツオンリーでOKとかのおうちもあるでしょう。

個人の自由を逆手にとって、平気で平日に休み、家族旅行にいくというおうちもあるでしょう。

子どもを尊重することなく、自分と同等に良いと言われる高校大学に、意地でも入ってほしい、体裁が気になるおうちもあることでしょう。


テストの点数をあげたい家ばかりではないということですが、このブログにたどり着いている方は上記のような家庭ではないでしょうからね。




3



まず、「強要しない」 ということです。

子育てにおいては、「寛容になる」 ということです。


当たり前ですが色んな人がいますよね。


行動がのんびりしている人。
せっかちな人。

幼児期であれば集団に適応するように、また可能な限りIQをあげることも可能ですが、年齢が上がれば上がるほど、固まった嗜好やIQは変えることは難しいです。


「100円の鉛筆」 を、高い。 と思う人が居れば、安い。 と思う人もいます。
「3000円の注射」 もそうですね。3000円で楽になれば安い。 と思う人と、 ちょっと気軽に出せないな。と思う人。
今○○が食べれなくても、◇◇すればいつかは食べられるようになるよ。と、統計や経験も乏しい根性論。

それをいちいち自分の価値観だけで、自分以外の人に強要しない。ということです。
ただし、幼児期でしたら可能ですが。

根性論だけではできるようになりませんよ。

外遊びと、規則正しい生活、TVやスマホの動画をほぼ見ない幼児期の生活、可能な限りの長期母乳育児(母乳80%以上) をしている上での根性論と教育を工夫していけばできますが。

夏の海にも行けないようでは、無理ですけどね。


強要するとどうなるかと言いますと、お分かりのように、
友人が減り、周りの人と信頼関係も築けません。そして子どもに対してそうすると、信頼されないですし同じように友人が少ない子どもに成長します。


会社での繋がりがある時期だけ、皆にペコペコされていざやめると、一斉に知らん顔。という寂しい予後です。




4


前回は価値観のことを書きました。よく、 「価値観の違い」 と言いますよね。当然離婚の条件になることでもありますし、友人が離れていく原因にもなります。
自分だけの価値を押し付けることは間違いですので。


また、”人” からどう見られているか。ということも人生で重要なことかなと思います。

「くさそう」
「キモイ」
「さわやか」
「優しい」
「変な顔」
「愛嬌のある顔」

人の目ばかり気にして生活することではないです。
しかし、身だしなみを整えることは、見栄を張る事ではないですよね。






次男の音楽隊の一コマ。
24時間全てをつぎ込むのも、どうかな?と私は思っています。
両立どころか、四立ほどでやり切ることはもちろんなのですが。
送迎の際も、皆も遠くから通っているようですが、本人がテスト期間であったり、薫陶を立派に受けてきて疲労もたまっている状態で、高速道路を使わずに時間をかけて下道・・・とか、電車で行き来ということは私はできません。



車では自分だけの、行く道とか帰り道とか、他の兄弟も遊びに行くついで…とかでしたら急いで移動する必要もありませんが。
かといって何時間も車中に居るだけでは、自分のアクセサリー状態になってしまうので、 ”子どもの人権” を常に考えています。

時間帯によって交通量も違いますしね。電車だとやはり2時間ほどかかってしまいますし。

今はまだ中1ですから、勉強量も少ないですし、若いですし(笑) そんなに疲れるほどでもないかなと思っていますが、 「心労」 を掛けないようにと常々思っています。

今までなかった世界に入ることができて、楽しいようです。
ちなみにお祭りの際のパレードは、 

「今回は○○、◇◇、~~の曲ねーー」
「はーい」

の一声で終わりなようです すげえ。

もう曲は頭に入っているようです。

今は9月の大会の練習をしているそうです。


またまとめながら書いていきますね。



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02.26
Mon
先日PTAの活動にて先生からのお話で、三重県は小中高生、スマホをもっている率が高いとのことでした。

何が危険か、わかりますか?
色々あるのですが。


私が思うのは、大人でも始終触ってしまうのに、年齢が低い子どもでしたらもっとはまるだろうということですね。
時間の無駄。


動画も無料で見れますよね。

具体的に書きますね。
何でも見れるのですよ。もちろんお金が要るものもあります。
しかし無料で見れるものも多いようです。

その描写が、何でも見れるのです。動画などない昔は、見れなかったわけです。高いお金を払わないと。
なので必然的に稼ぎのある大の大人しか見ない確率があがりますね。

それが三重の場合小学生から持っている確率が高いそうなので。

そして、動画に出てくる人々の、年齢制限がないのです。
動画がなかったころは、高い金を出さないと手に入れることができなかったはずです。

規制があるようで、現実はありません。よって、おかしなストーリーが多くなったそうです。
殺す系とか。傷つける系とか。

世の父親業をされている、普通の性癖の方は危惧しているようですね。
それが  ”普通”  だと思ってしまう子も居るんじゃないかな。ということです。

なので、きちんと目をそらさずに現実を見つめている親御さんの子どもは、スマホを持ってないんです。
キッズ携帯もありますしね。
もたすなら、せめて見れないように工夫しないといけないですよね。

殺す系を好む人はそういう虐待系の家に育った方オンリーなので、皆がそうなわけないですよね。
しかも温和な三重で。

人が嫌がるところや死ぬ、苦しむところを見て喜ぶような男になってほしいですか?

嫌ですよね。


また、出会い系サイトは18歳以上などと制限されているようで、実はされていません。
腐るほどありますよね。
世の中の努力もしないで疲れ切って勇気のない男性が利用しているだけですので、そんなところでメールなどしても意味がありません。

風俗に行くお金が惜しいので、できるだけ安くできる人を探しているだけです。
風俗嬢に、まけてよ~~ といっても殴られるだけですよね。

またおかしな性癖ですと、できるだけ若い人が良いだけです。
中学生や小学生女子に声を掛けたら、捕まってしまいますよね(笑)
だから顔を見せないのです。


”普通” の性癖でしたら、50歳の女性でもきちんと身だしなみを整えていれば女性として、男性は見ますよ。

こうしてみると、あほみたいな男性を増産しないためには、結婚して子供ができても女性として小奇麗にする必要があることがわかりますよね。
男性は目がぼやけていると思って良いので、シルエットだけでもきれいにしておけば良いのです。
それは、姿勢。髪を伸ばす。長いものでも構いませんから、スカートをはく。ですね。
そして少しでも良いのでお化粧をする。
あとは口臭。朝晩しか磨かないから臭いんです。
一日3、4回磨くようにすれば臭くないです。

毛穴や白髪など見えてませんから。
女性はそういう細かい所を気にすると思うのですが、クレド・ポーじゃなくても上手にきれいにできます。

現実を見ましょうね。


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01.14
Sun


一般論でお話しますね。
障がいとか、関係ないです。

(少し重い障害がある子は多少、遅くまで信じている場合もあります)

一般論というか、私がよく見聞きするお話です。

「子どもが、小学校〇年生なのに、サンタさんを信じているんだよ~」

というお話です


うーん
では学校で、 (8時~14:30、15:30まで居る場所で) サンタの存在を絶対に明かさないという保証はどこにあるのでしょう?

んなわけ、ないですよね。


体調もいまいちなので、答えを書きますね。


「年長者の入れ知恵で、希望の品をもらうため、信じているふりをし続ける」

ですね。

特に、毎年希望の品を送り続けている家はそうなりますね。


◎希望の品をもらえるとは限らないことを教える
子どもは、生きている年数が少ないので経験が親よりありませんよね。当たり前ですが。
なので、最初は何でも喜ぶんです。そして、ほしいものなど、適当に答えている場合もあります。
生きている年数分視野が狭いので、自分の本当に欲しいものもはっきりわからない場合も多いです。
ほしいものばかりをもらい続けていると、価値観が薄れてきます。当たり前ですが。ご自分もそうですよね(笑)
なので、
「もらって当たり前」
になります。
こんな風に育てたくないですよね。

そこで、親がしっかり今売っているものを吟味し、何が適しているかを考えます。
そして希望ではないけれども、親が選んだものを送ります。
いちいち子どもの反応を気にしないことですね。子どもは自分の癒しのための存在ではなく、一個の別人格の人間です。
子どもって、自分のおもちゃじゃないですよね。ぬいぐるみでしたっけ?

世界に貢献できる人材に育ってほしいと思いますよね?世界に行かなくとも、国内でも。ならば、人格を育てると思って接することです。毎年希望のものを与え続けて、しっかりした人格が育つでしょうか。

子どもの反応が悪ければ、片方の親がフォローする。これが普通の夫婦です。
反応が悪い年齢が、10歳を超えている場合、更生には時間がかかります。
そうならないために、幼児期から滾々と教えるのです。
年齢が低いほど、更生は早いです。


◎騙されたふりをして、希望のものを与える年と、与えない年と分け、意表を突く。あめとムチを上手に使い分ける。

あれえ~~希望のプレゼントじゃなかったね~~
サンタさん、○○に◇◇になってほしかったから、これだったんじゃない??

などと、すでに親は知っているゾ~
的に振る舞う。

子どもに騙されても良いのですが、コントロールされたらいけません。



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11.17
Fri
過去記事です。



コメントをしたのは私なんですけどね


ゆっくりじっくり幼児教育
こちらからコピペさせていただきました。


履歴書には書けない自分」を育みたい。


「学歴、職業、肩書き、資格、特技・・・

人からの評価って、何だかんだ言っても結局はそういうもので決まる気がするけれど、
お子さんがそういうものを持たなくても、良いと思えますか?

というご質問をいただきました。
(非公開でいただいたので、表現を一部変えさせていただきました。)

うーーーん!難しいですね~
色々考えてしまったのですが、
今思うところを書いてみたいと思います。

「持たなくても良い」というようには言い切れない。
その子がその子自身のために頑張った結果、こういったものを手に入れたのなら、
親としては嬉しいだろうとは思います。

でも・・。

いつも気をつけていたいな、と思うことがあります。


★子どもの人生は子どものもの。
 親を喜ばせるために生きているのではない。

★学歴や特技(英語・ピアノ・・)という、目に見える何かを与えることよりも、
 「目に見える何かが無くなってもなお、その子に残るもの」
 を育んであげたい。

この2つ。


履歴書に書けることが全部消えた時、
その子に一体何が残るか?

学歴が一切関係無い世の中になった時。
失職してしまった時。

学歴も役に立たない、職業もない、肩書きもない、
英語も話せない、ピアノも弾けない、資格もない・・

目に見える何かが無い状態になっても、
その子の中に存在している絶対的なもの。

それを育んであげることが、私が一番大事にしたいこと。

人にアピールできることが、学歴や資格しかなかったら、
それは「残念な人」。
学歴や資格が無くても、「私はこういう人」というアイデンティティがあれば、
それは「素敵な人」。

○○大学出身です、○○に勤めています、夫の職業は○○です・・。

そういったものに頼らずに「私はこういう人間です」と言えること。
そのためにはまず、親である私自身がそうでなくてはいけないですね

もちろん自分の子が褒められたら嬉しいし、
自分の子を認めてもらいたいという気持ちだってある。

でも、

私は○○ができる子の親です。
私の子どもは○○大学を出て○○に勤めています。

ということで自分のアイデンティティを持とうとする親には、
ならないようにしたい・・。


「その子のありのままを認めてあげられるのは、結局親だけなんじゃない?」

と、夫が最近言っていました。
たしかに、人からはどうしても色眼鏡で見られてしまいますよね。

○○ができる(できない)子、○○の家の子、○○学校の子・・というように。

嫌でも評価の目にさらされるのだから、
親だけはそういう目で子どもを見ないであげたい。
あれもできなきゃダメ、これもできた方がいい・・じゃなくて、
「できないことがあっても、そのままでいい」
くらい気持ちでいたい。

あれもこれも与えようとしたら、

「こんなに与えられなければならないほど、自分は無力なのか」

というような気持ちになってしまう気がするんです・・。

早期教育について何かが違う・・と思ったきっかけの1つはこれでした。
早期教育って結局、
「あなたには何もない」「そのままのあなたではダメ」
ということが出発点になっている気がしたこと。


学歴、職業、肩書き、資格、特技・・・

持たなくても良い、とは言わないけれど、
「親のために持たなくても良い」。

私は親として、履歴書で提示できる何かよりも、
「履歴書には書けない部分」を育んであげたい。
(漠然としていて言葉にするのが難しいのですが・・)

学歴コンプレックスとか英語コンプレックスとか言うけれど、
「自分」というものの核がしっかりあれば、
そういったものばかりにとらわれることもないんじゃないかな・・。

○○が無い、○○ができない・・・

「持っていない(できない)から、どうしていこう?」
「無くても自分にはこれがある、これが自分だ」

というように、、欠如した自分と向き合いながら自分をつかんでいく、
という経験って、とても大事なものだと思うんです。
大事なのは周りからの評価ではなくて、
評価に左右されない自分。
自分で自分をどう思うか。


だから私は、自分の子への願いとして、

「自分と向き合い、自分を信じて頑張れる子になってほしい」

というものを挙げています。
(関連記事:「子どもの未来への祈り」から考える、習い事観。)

学歴や資格だけで人を評価する人は、
自分自身の価値もそういった他人のものさしでしかはかれない人。
自分の無い人…。
そういう人からの評価を気にする必要は無いし、
そういう人になってほしくない、
というところが本音かもしれません。

長々と書いてまとまらずすみません…。
今はそんなふうに考えています。
私も自分のエゴとの戦いになる・・ような気がします。」

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