11.17
Fri
過去記事です。
コメントをしたのは私なんですけどね
ゆっくりじっくり幼児教育
こちらからコピペさせていただきました。
履歴書には書けない自分」を育みたい。
「学歴、職業、肩書き、資格、特技・・・
人からの評価って、何だかんだ言っても結局はそういうもので決まる気がするけれど、
お子さんがそういうものを持たなくても、良いと思えますか?
というご質問をいただきました。
(非公開でいただいたので、表現を一部変えさせていただきました。)
うーーーん!難しいですね~
色々考えてしまったのですが、
今思うところを書いてみたいと思います。
「持たなくても良い」というようには言い切れない。
その子がその子自身のために頑張った結果、こういったものを手に入れたのなら、
親としては嬉しいだろうとは思います。
でも・・。
いつも気をつけていたいな、と思うことがあります。
★子どもの人生は子どものもの。
親を喜ばせるために生きているのではない。
★学歴や特技(英語・ピアノ・・)という、目に見える何かを与えることよりも、
「目に見える何かが無くなってもなお、その子に残るもの」
を育んであげたい。
この2つ。
履歴書に書けることが全部消えた時、
その子に一体何が残るか?
学歴が一切関係無い世の中になった時。
失職してしまった時。
学歴も役に立たない、職業もない、肩書きもない、
英語も話せない、ピアノも弾けない、資格もない・・
目に見える何かが無い状態になっても、
その子の中に存在している絶対的なもの。
それを育んであげることが、私が一番大事にしたいこと。
人にアピールできることが、学歴や資格しかなかったら、
それは「残念な人」。
学歴や資格が無くても、「私はこういう人」というアイデンティティがあれば、
それは「素敵な人」。
○○大学出身です、○○に勤めています、夫の職業は○○です・・。
そういったものに頼らずに「私はこういう人間です」と言えること。
そのためにはまず、親である私自身がそうでなくてはいけないですね
もちろん自分の子が褒められたら嬉しいし、
自分の子を認めてもらいたいという気持ちだってある。
でも、
私は○○ができる子の親です。
私の子どもは○○大学を出て○○に勤めています。
ということで自分のアイデンティティを持とうとする親には、
ならないようにしたい・・。
「その子のありのままを認めてあげられるのは、結局親だけなんじゃない?」
と、夫が最近言っていました。
たしかに、人からはどうしても色眼鏡で見られてしまいますよね。
○○ができる(できない)子、○○の家の子、○○学校の子・・というように。
嫌でも評価の目にさらされるのだから、
親だけはそういう目で子どもを見ないであげたい。
あれもできなきゃダメ、これもできた方がいい・・じゃなくて、
「できないことがあっても、そのままでいい」
くらい気持ちでいたい。
あれもこれも与えようとしたら、
「こんなに与えられなければならないほど、自分は無力なのか」
というような気持ちになってしまう気がするんです・・。
早期教育について何かが違う・・と思ったきっかけの1つはこれでした。
早期教育って結局、
「あなたには何もない」「そのままのあなたではダメ」
ということが出発点になっている気がしたこと。
学歴、職業、肩書き、資格、特技・・・
持たなくても良い、とは言わないけれど、
「親のために持たなくても良い」。
私は親として、履歴書で提示できる何かよりも、
「履歴書には書けない部分」を育んであげたい。
(漠然としていて言葉にするのが難しいのですが・・)
学歴コンプレックスとか英語コンプレックスとか言うけれど、
「自分」というものの核がしっかりあれば、
そういったものばかりにとらわれることもないんじゃないかな・・。
○○が無い、○○ができない・・・
「持っていない(できない)から、どうしていこう?」
「無くても自分にはこれがある、これが自分だ」
というように、、欠如した自分と向き合いながら自分をつかんでいく、
という経験って、とても大事なものだと思うんです。
大事なのは周りからの評価ではなくて、
評価に左右されない自分。
自分で自分をどう思うか。
だから私は、自分の子への願いとして、
「自分と向き合い、自分を信じて頑張れる子になってほしい」
というものを挙げています。
(関連記事:「子どもの未来への祈り」から考える、習い事観。)
学歴や資格だけで人を評価する人は、
自分自身の価値もそういった他人のものさしでしかはかれない人。
自分の無い人…。
そういう人からの評価を気にする必要は無いし、
そういう人になってほしくない、
というところが本音かもしれません。
長々と書いてまとまらずすみません…。
今はそんなふうに考えています。
私も自分のエゴとの戦いになる・・ような気がします。」
コメントをしたのは私なんですけどね

ゆっくりじっくり幼児教育
こちらからコピペさせていただきました。
履歴書には書けない自分」を育みたい。
「学歴、職業、肩書き、資格、特技・・・
人からの評価って、何だかんだ言っても結局はそういうもので決まる気がするけれど、
お子さんがそういうものを持たなくても、良いと思えますか?
というご質問をいただきました。
(非公開でいただいたので、表現を一部変えさせていただきました。)
うーーーん!難しいですね~
色々考えてしまったのですが、
今思うところを書いてみたいと思います。
「持たなくても良い」というようには言い切れない。
その子がその子自身のために頑張った結果、こういったものを手に入れたのなら、
親としては嬉しいだろうとは思います。
でも・・。
いつも気をつけていたいな、と思うことがあります。
★子どもの人生は子どものもの。
親を喜ばせるために生きているのではない。
★学歴や特技(英語・ピアノ・・)という、目に見える何かを与えることよりも、
「目に見える何かが無くなってもなお、その子に残るもの」
を育んであげたい。
この2つ。
履歴書に書けることが全部消えた時、
その子に一体何が残るか?
学歴が一切関係無い世の中になった時。
失職してしまった時。
学歴も役に立たない、職業もない、肩書きもない、
英語も話せない、ピアノも弾けない、資格もない・・
目に見える何かが無い状態になっても、
その子の中に存在している絶対的なもの。
それを育んであげることが、私が一番大事にしたいこと。
人にアピールできることが、学歴や資格しかなかったら、
それは「残念な人」。
学歴や資格が無くても、「私はこういう人」というアイデンティティがあれば、
それは「素敵な人」。
○○大学出身です、○○に勤めています、夫の職業は○○です・・。
そういったものに頼らずに「私はこういう人間です」と言えること。
そのためにはまず、親である私自身がそうでなくてはいけないですね
もちろん自分の子が褒められたら嬉しいし、
自分の子を認めてもらいたいという気持ちだってある。
でも、
私は○○ができる子の親です。
私の子どもは○○大学を出て○○に勤めています。
ということで自分のアイデンティティを持とうとする親には、
ならないようにしたい・・。
「その子のありのままを認めてあげられるのは、結局親だけなんじゃない?」
と、夫が最近言っていました。
たしかに、人からはどうしても色眼鏡で見られてしまいますよね。
○○ができる(できない)子、○○の家の子、○○学校の子・・というように。
嫌でも評価の目にさらされるのだから、
親だけはそういう目で子どもを見ないであげたい。
あれもできなきゃダメ、これもできた方がいい・・じゃなくて、
「できないことがあっても、そのままでいい」
くらい気持ちでいたい。
あれもこれも与えようとしたら、
「こんなに与えられなければならないほど、自分は無力なのか」
というような気持ちになってしまう気がするんです・・。
早期教育について何かが違う・・と思ったきっかけの1つはこれでした。
早期教育って結局、
「あなたには何もない」「そのままのあなたではダメ」
ということが出発点になっている気がしたこと。
学歴、職業、肩書き、資格、特技・・・
持たなくても良い、とは言わないけれど、
「親のために持たなくても良い」。
私は親として、履歴書で提示できる何かよりも、
「履歴書には書けない部分」を育んであげたい。
(漠然としていて言葉にするのが難しいのですが・・)
学歴コンプレックスとか英語コンプレックスとか言うけれど、
「自分」というものの核がしっかりあれば、
そういったものばかりにとらわれることもないんじゃないかな・・。
○○が無い、○○ができない・・・
「持っていない(できない)から、どうしていこう?」
「無くても自分にはこれがある、これが自分だ」
というように、、欠如した自分と向き合いながら自分をつかんでいく、
という経験って、とても大事なものだと思うんです。
大事なのは周りからの評価ではなくて、
評価に左右されない自分。
自分で自分をどう思うか。
だから私は、自分の子への願いとして、
「自分と向き合い、自分を信じて頑張れる子になってほしい」
というものを挙げています。
(関連記事:「子どもの未来への祈り」から考える、習い事観。)
学歴や資格だけで人を評価する人は、
自分自身の価値もそういった他人のものさしでしかはかれない人。
自分の無い人…。
そういう人からの評価を気にする必要は無いし、
そういう人になってほしくない、
というところが本音かもしれません。
長々と書いてまとまらずすみません…。
今はそんなふうに考えています。
私も自分のエゴとの戦いになる・・ような気がします。」
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